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上野國一社八幡宮 裏山にあるもの [隠れ郷土史]

まだ初詣に行ってません。
例年なら富士宮市の浅間大社に行くのですが、時間が取れないので地元、上州の神社に行こうかと思っております。

初詣ネタではないのですが、この社は、JR信越線、群馬八幡駅から西の山にある。
一社八幡宮にちなんでこの辺り一帯を八幡町というのだが、群馬八幡駅は八幡宮よりも碓氷川を渡ったところにある少林山達磨寺(だるま市が行われる)の方が近い。八幡宮までは駅から800mほどある。広い道を真っ直ぐ行けるのではなく、裏道を歩く。
地元では、八幡八幡宮(やわたはちまんぐう)か、ヤワタノハチマンサマと呼ばれいます。
神社のいわれは割愛しますが、八幡宮といえば源氏。ここも源頼義、義家や、頼朝が社殿を改修した。
社殿1.jpg
この八幡宮の裏敷地内に妙なものがある。
大堀1.jpg
大堀2.jpg
一直線に伸びる濠です。
大堀3.jpg
大堀4.jpg
濠は長さ100m、上の幅10m以上、長年の泥濘や葉で埋まって浅く見えるが、往時は深さ数2mほどあったのではないか。
堀底から1.jpg
堀底から2.jpg
この濠と境内一帯は、信玄の陣城だったという。甲州軍団が駐屯していた。
信玄は上州を欲する。だが箕輪の長野業政が気になる。最初は懐柔してみるがあっさり断られ、弘治三年(1557年)4月から再三、上州に攻め込んで来る。
長野は頑強に抵抗するが、信玄は諸城を落とし、ここに陣取り、安中、板鼻、鷹巣方面への抑えか、箕輪城とのラインを分断した。
社の人にとっては迷惑千万だっただろうが、逆らって焼き討ちされたらタマランので境内を提供した。幸い社は源氏にちなむもの、信玄も甲斐源氏の流れなので、そこは上手く交渉して寺社領は安堵されたと推定される。

この裏手の壕の噂を知って最初は夏場に来た。だが草ぼうぼうで入れなかった。晩秋か冬になれば草も枯れてるだろうと思って踏み込んだ。そしたら草は刈られていた。
だが、普段は立ち入り禁止らしい。
堀底から3.jpg
この境内、碓氷川方面の中山道側から来ると、境内の南側を登る。段丘になっている。だが北は防御面が弱いので、この一帯を一直線の濠で切った感がある。
この裏地の壕はあまり人目には触れず知られてないようです。隣接する護国寺という寺の境には土居もあるので、境内の南側以外の三方を堀で囲んでいたのではないか。

八幡宮にしてみたら何をしでかすかワカラン甲州軍団の駐留には困惑したが、甲斐武田も源氏の流れだから無下にもできなかったのだろう。
これに懲りて後年、八幡宮の社人が、八幡宮を守る為に濠を設けたともいう。
裏から社殿を見る.jpg
国を蹴った男.jpgこんな書籍がある。伊東潤氏。
私は何冊か持ってます。氏の作品には上杉景虎、長尾景春、勝頼体制の武田家宿将たち、唐沢山城の佐野氏、蹴鞠で有名な今川氏実、経理の才ある長束正家、北条水軍の清水康英等、メジャーでない人物が主役に起用される。

左写真の書籍に収録された作品で「牢人大将」という短編があって、武田家の正規軍ではない雇われ傭兵たち、牢人部隊を率いた那波無理乃介宗安(ナワムリノスケムネヤス)という人物を描いた作品がある。
名前からして、無理して峠を自転車で越えるナワ~ルドさんみたいだが(笑)、この人、創作上のキャラかと思ったら実在の人物だそうです。
小説では、「無理攻めをしなきゃ功は挙げられない」と言ったので、信玄が無理之介と命名しているが、各方面の資料でもその名で載っている。



境内1.jpg那波は上州出身で甲斐に流れ、「恩賞に土地なんか要らん」と言い張り、金銀を報酬として受けている。
甲州軍団の正社員ではない。かといって外注でもなく、非雇用社員のような立場の部隊。

最初の舞台は上州で、箕輪の長野氏攻めの過程で武田陣中も少し描かれる。箕輪城内や甲斐府中で、那波と信玄の末弟、河窪信実との確執が起きるのだが、その箕輪攻めの陣中はここ八幡ではないだろうか。
(ナワさん、本分中失礼しました。)
コメント(2) 

コメント 2

ナワ~ルド@峠おやじ

牢人大将ですか!
「牢人」なるネーミングがよくわかりませんが、作者の解説を見ると、御家人とか家来のような正社員でなく、働きに応じて報酬を貰う無足人と呼ばれる知行地を持たない兵たちだそうですね。

『会社に忠誠心を持つのが正社員、仕事に忠誠心を持つのがフリーランス。自分がフリーランスの立場に立つと、それがよく分かります。「外注さん」であるがゆえに、正社員以上に懸命に働く無理之介の爽やかな生き様に共感いただければ幸いです。』

一般銀行員とはかけ離れた部署に長年いて専門職と言われる立場にいるとそれとなくわかります。

別のサイトに当たってみると、大江広元を祖とした那波氏は伊勢崎に住み、那波城などを領有していた。長尾景虎(=後上杉謙信)の伊勢崎攻撃に負け、逃亡した宗安が信玄配下になり、各地を転戦、長篠で討ち死にしたとのこと。

しかし、群馬にも名和小学校があることを初めて知りました。ありがとうございました。
by ナワ~ルド@峠おやじ (2013-01-14 10:41) 

船山史家

ナワさ~ん。
牢人は江戸時代の主家お取り潰しに遭った浪人とは違うようですね。
この名和さんならぬ那波無理之介さんは、一つひとつの軍役毎の契約社員でしょうか。総合格闘技イベントの一試合幾ら=ひと合戦幾らの契約で、それより長いもの、例えば外人プロレスラーのシリーズ毎の契約=軍役か遠征毎の契約と似てる気がしますね。

信玄が那波無理之介さんに知行地を与えて家臣にしようとする場面もあったんですが、那波は断ってます。正社員にならないのは那波さんの自己都合というか強い意思なんです。
信玄にしてみりゃ、もともと流れ者だから、直臣に囲っておこうと思ったのでしょうか。

私は準社員上がりで、今は正社員になってよかったと思っていますが、私が今現在の立場で、頑張ってる準社員を正社員にしようとして障害にぶつかりました。
このネタは最近、決着を見たので、帰還後にUpしようかと思っています。
by 船山史家 (2013-01-15 12:05) 

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