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軍用列車 岩鼻軽便鉄道 [廃線]

群馬の森では花や木々を眺めることを全くしないまま、公園よりも周辺のアヤしい建造物を見て回りました。
思ったのは、ここで製造された弾薬をどうやって運んだのだろうかということ。
ダイナマイト碑他には、明治の創業時には水運云々と記されていたが、時代とともにそれじゃぁ追いつかなくなったに決まっている。
鉄路ではないだろうか。
ここへ来る途中、ぐるりんで通過したアヤしげな踏切、引き込み線を思い出した。。。
引き込み線?-1.jpg
途切れているぞ?.jpg
公園を出てぐるりんバス停を見たら本数が少ない。右足も痛いしタクシーを呼ぼうと決めた。
でもあの踏切、高架の単線が気になる。右足を引きずるようにして徒歩で踏切まで戻ったんです。ここまで来たのだし、後で机上で調べるにしても写真がないと恰好がつかないからね。
(仕事もそこまで執念燃やせばいいのにね。ジャン妻)
うるさいっつーの。アヤしげな単線、その先の高架で突然途切れる単線の踏切は第三栗崎踏切という。JA岩鼻と岩鼻小学校の先です。
第三栗崎踏切1.jpg
第三栗崎踏切2.jpg
途切れた単線を渡る踏切。この単線は何の意味があるのだろうか。

引き込み線?-3.jpg
踏切に立って東方向を見たら、踏切を通り過ぎてから徐々に高架で鉄路が上がって行き、途中でプツッと切れている。周囲の地形が粕川の河原に向かって下がっているので鉄路を高架にしたようである。
何だか未成線に見える。
高架は近代的なコンクリート橋で、昭和56年の竣工だそうです。
高架1.jpg
高架2.jpg
高架3.jpg
高架4.jpg
西方面を望むと高崎線の倉賀野駅方面です。
ここからだと倉賀野駅は見えない。広々とした貨物操車場が見える。構内をディーゼル機関車がせっせと働いているのが遠目に見えた。
倉賀野方面1.jpg
ヤード1.jpg
ヤード2.jpg
再度、目を東に向け、未成線のように見える高架先端方面を目指した。
途中、道が高架から逸れたので、高架を潜って反対側に出て眺めて思いついたのは、この高架はここまで造って「作るの止~めた」・・・というものではない。現在は途切れている先端部まで貨物列車を牽引し、一旦は停車して連結部を外し、別の機関車が西の貨物の先端に引っ付き、スイッチバックのように構内に入れ替えて戻る為に必要な長さなのではないか。
歩いて見てこの辺りの地形は粕川に向かって下がっているので、地べたに敷設したら下り坂で暴走してしまうだろう。だから高架にせざるを得なかったのである。
ではその為にわざわざ土地を買収したのか。いやそうではあるまい。もともと鉄路があったに違いない。先刻見物した火薬製造所へ向かう引込線だったのが、現在は貨物列車引き込みの為に高架に化けたものではないか。

でもその先へ散策する気力が萎えた。足首が痛みこれ以上の散策に耐えられなかったのである。倉賀野駅付近に待機しているタクシーを呼んだ。
「岩鼻JA、小学校の正門前・・・」
タクシーは5分で来た。最寄の駅は新町駅か倉賀野駅だが迷わず倉賀野駅にしたのはこの引込線が倉賀野駅で本線に接続するからです。その現在線こそ岩鼻火薬製造所から火薬を運搬していた貨物鉄道の名残ではないだろうか。
他に近隣の駅で北藤岡駅がある。でもそれは本線から分岐した八高線のみの単線ホームしかない。
新町駅だと烏川を渡らなくてはならない。敷設するのは余計な金がかかる。
倉賀野駅に決まっている。

途中で踏切で待たされた。さっきヤードで働いていたディーゼル機関車がタンク車を率いてゆっくりゆっくり倉賀野駅方面へ去っていく。
タクシー帰路途中で.jpg

倉賀野駅で待つ間のこと。
東京方面から電気機関車に牽引されたタンクの貨物列車が長々とやってきた。それらは倉賀野駅の4番線ホームか?・・・横づけ停車した。
東京方面から来た貨物列車.jpg
停まった際の列車の金属音の凄いこと。ガシャガシャガッシャーンという音が構内に響き渡った。ここは都心部と違って暗騒音がないので余計にヤカマしく聞こえた。
そういえばあの踏切、高架引込線のすぐ傍には住宅もあったから、中途半端な高架とはいえ住んでる家の裏でこんな激しい金属音が響いたらヤカマしくてしょーがないだろう。
運転士もそこは配慮して静かにゆっくり走行すると思うが、夜なんかに家の裏手の窓を開けてみたら幽霊列車みたいに停車しているのだろうな。
引き込み線?-2.jpg
東京方面から来た貨物列車、タンク車には多くに「根岸駅常備」と銘打ってあった。
根岸駅ったら私の地元、公用圏でもある。おそらく武蔵野貨物線経由で高崎線に入ってここまで来たのではないか。

後日、年明けの根岸駅ヤードです。 ↓ ここから倉賀野駅まで貨物が出発する。
根岸駅構内.jpg

倉賀野駅に戻ります。しばらくしたらまたまた働き者のディーゼル機関車がヒョコヒョコ走って来て貨物列車の東京方面の先端に連結した。健気にも一生懸命に引っ張って岩鼻方面へ消えていった。
岩鼻火薬製造所の時代もこの流れで空車が搬送されていったに違いない。
ディーゼル機関車が来た.jpg
岩鼻方面へ.jpg
戻って机上で調べてみたら、JTBキャンブックス、鉄道廃線跡シリーズⅨに岩鼻軽便鉄道というのが載っていた。会津鉄道の湯野上温泉~芦ノ牧温泉の次頁に掲載されていた。
要点を抜粋すると、明治27年(1894年)、倉賀野駅が開業され、岩鼻火薬製造所で製造された火薬類は倉賀野駅まで荷馬車でトコトコ搬送され積み替えられたが、火薬生産量が増大したので地元の人が「岩鼻軽便鉄道株式会社」を設立、大正6年(1917年)4月に開通する。
軽便鉄道だが軌間は1067mm、2.6kmのミニ私鉄、途中駅は無し、倉賀野駅~火薬製造所方面、上州岩鼻駅の始点終点のみ。
複線区間なし、電化区間なし。

岩鼻軽便鉄道株式会社は社員数10人ほどで自前の機関車も貨車も運転手も車掌もいなかったそうです。
列車運転と管理はその頃は鉄道院といった国鉄に委託していた。鉄路を測量するのにも鉄道院のノウハウを借用したそうである。地元で出資しただけみたいですね。
一般貨物も僅かながらあったらしいが一般乗客は無かったようである。でもまぁアタリマエか。アブない火薬類を搬送する軍の専用鉄道といっていい。
本社は上州岩鼻駅の駅舎を間借りしていたそうです。

軽便鉄道だと軌間が762mmのケースが多いが何故に軽便なのに軌間1067mmなのか。
理由は簡単。わざわざ鉄路を敷いたのに軌間が二種類あると、倉賀野駅構内まで運んで来たアブないモノをそこで積み替えなきゃならなくなるからでしょう。
私が倉賀野駅構内で観察したように、同じ軌間の方が搬送が容易だからに決まってる。

史料の地図で見たら、廃線跡と現在の引き込み線が重なっているのがなんとなくわかる。
岩鼻軽便鉄道廃線MAP1.jpg
当時は現在のような高架ではなく少しずつ下がっていき、粕川を渡って右にカーブして上州岩鼻駅構内に滑り込んでいたようである。でも川に橋脚の残骸とかは無さそうとの事であった。
現在の地図を見ると高架線が途切れた先に細い道がカーブしているのがわかるからおそらくこれがそのラインでしょう。
その先、上州岩鼻駅は現在の日本原子力研究所開発機構高崎量子・応用研究所内の何処かにあったそうです。
岩鼻軽便鉄道跡MAP1.jpg
運ぶモノがモノだけに会社経営は順調だったそうだが、製造所敷地が拡張されたことで上州岩鼻駅が施設内に取り込まれてしまった。
現在の日光例幣使街道が東西に食い違っているのもそのせいです。そしたら軍部から、「軍用施設に私鉄が乗り入れるのは機密保持上如何なものか」という堅い達しにより国に買収される事になった。でもその前に終戦になり、運搬するモノ自体がなくなって鉄道そのものの存続意義を失ってしまったんだな。
廃止するしかないが、その前に買収して誰かが鉄路を管理しなきゃならない。幸い終戦後に予定どおり買収され、鉄道敷地は大蔵省の管理下に置かれた。正式には昭和20年(1945年)に廃線になったらしい。

鉄路は15年ほど草に埋もれて眠っていたが、昭和35年(1960年)以降、倉賀野駅構内が幾社かの貨物基地として整備することで岩鼻軽便鉄道は鉄路の赤錆を落として蘇る。
亜細亜石油、これは現在のJX日鉱日石エネルギー社、他にも関東電工、昭和石油、太平洋セメント、日本ケロッグの各専用線が分岐していく。
幾つかの専用線、自動車基地、飼料基地は廃止されたが、石油基地とコンテナ基地が現在も稼働している。岩鼻軽便鉄道旧鉄路上を毎日貨車が通過しているといっていい。
戦時中までの使命を果たし、平和な現代に軍用鉄道の一部が蘇ったというわけ

岩鼻の風景.jpg
今回の散策はこれで終わり。ジャン妻を同行させなくてよかったです。結構歩いたし、同行させたら、「まだ歩くの?」、「何処まで行くの?」、「早く帰ろうよ」、「コーヒー飲ませろ」ってブゥタレるに決まってっからね。
ぐんまちゃん.jpg
コメント(6) 

コメント 6

ショウ

ジャンさん、こんばんは
辿り着かれてしまいましたか・・・まさかお戻りになられた後に、ここまで散策されるとは・・・
私も群馬へ来たばかりの頃、撮り鉄って程では無いんですが、線路なんかも撮っていた時に気がついて、群馬の森までたどり着きました。今となっては良い思い出です(笑
それと、群馬の森の中にも売店はあります。芝生広場の片隅にあったと記憶しています。それと、美術館の方にカフェがあったはずです。入った事が無いので、味は知りませんが・・・
by ショウ (2014-01-31 20:43) 

船山史家

ショウさんおはようございます。
帰京してから購入した「群馬県謎解き散歩」という書籍で知りました。
見て身体に刺激が走り、これは行かねば・・・と思い、満を期しての訪問、散策になりました。天気もよかったので。
ぐるりんが渡った踏切の線路の端っこを見て、痛む足を引き摺りながら、群馬の森正門から踏切まで歩いて戻ったんです。そこで右足首がパンク。まぁそこまで持ちこたえてよかったですよかったです。
(現在、足は復調しています。)
そういえば美術館にCafeっぽいのがありましたな。売店は気付かなかったです。
この日は確か・・・もりやで朝飯を喰ってから出かけたハズ。腹ごなしにいい散策にはなりました。
まさかショウさんこの廃墟に踏み込んだりしませんよね。(笑)
by 船山史家 (2014-02-01 11:11) 

熊猫

ジャンさん。こんにちは。

ものすごい大作ですね。
興味深く拝見しました。
実は自分も、こういう遺構もの、廃線跡、大好きです。その痕跡を辿ったり、この地形は不自然だなと、かつて何があったのかと思いを馳せ、調べたりします(ジャンさんのように徹底的ではありません)。

自分が住む東京都北区にも戦争遺構が多く残り、廃線跡もあります。
これを読んで、群馬の森には行かねばと思った次第です。
by 熊猫 (2019-05-11 13:12) 

船山史家

熊猫さんこんにちは。
過去BlogⅡへのご訪問ありがとうございます。あ、私が自分で宣伝したんだった。ⅠとⅡは無料プランだったので容量満タンになったところで終了したのです。現在のⅢで途中から有料プランに切り替えました。
このシリーズでひとつ前の「旧陸軍岩鼻火薬製造所跡」はアクセス数が妙に多く、いつもランキング上位なのです。廃墟探検地図サイトにいつの間にか組み込まれてたし。
行かれます?
行かれるだけならくるまが無難ですが。くるまだとすぐ通り過ぎてしまい、そこにある意外なものを見落としがちなんですよね。
北区には軍事施設が多かったようですね。板橋とか赤羽とか。でも北区は私の公用圏外なので残念です。
by 船山史家 (2019-05-11 18:12) 

熊猫

おはようございます。
あ、こちらはⅡでしたか。そして、Ⅲの意味も、よく分かりました。

「旧陸軍岩鼻火薬製造所跡」を検索すると、ジャンさんの記事が最上位に出てきます。すごいです。

時間を見つけて、行ってみようと思うのですが、いつになるか。連休前に知っていれば、と、思いました。
by 熊猫 (2019-05-12 06:00) 

船山史家

熊猫さんこんにちは。
ハイこちらはⅡです。ソネブロはひとつのアカウントで5つまでのBlogを動かせるので、有料プランにしたことでⅠとⅡも容量増えたのですが、今更Ⅲから戻るのも何なので。多少のメンテナンスをしながら基本は放置状態です。
そうなんですよ。上位に出てきちゃうのです。困ったものです(何で?苦笑)
遺構を見るには草木が枯れていく晩秋から冬場ですね。山城散策と一緒でこれからの時期は暑いし草ぼうぼうになるし、虫も出ますから。
by 船山史家 (2019-05-12 11:45) 

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