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狡兎死して走狗烹らる [隠れ郷土史]

後半に入りましたね。同じ軍師モノで風林火山に比べたら軽いですが、観てはいます。
主役.jpg
官兵衛が土牢から救出され、それまでの爽やかな人格から少しは軍師らしく陰険な人格に変貌するかと期待したのだが、思ったほど変貌してないみたいですね。
今後も岡田准一さんのイメージでいくのかな。
笑っちゃったのが、餓死寸前の三木城に出向いて、「地獄からの使者・・・」
コケおどしてどーするって。(笑)
それでいて小寺を見逃しちゃったし。
(小寺の息子は後年、黒田家の家臣か客分で養われるそうですね。)

「だし、また出るの?回想で?」(ジャン妻)
「さぁな」
悪い予感がしたの。案の定これもコケおどしでしたな。桐谷美玲さんが口から血というか紅をたらしてた。あの人は化粧品のCMにも出てたから余計に笑えた。
安っぽいホラー以下ですよ。どなたが演出してるのか。。。

光秀への伏線かと思いますが、佐久間信盛の追放場面で、
「佐久間って何したの?酷じゃない?」(ジャン妻)
「佐久間はねぇ・・・勝家秀吉光秀たちが、やってアタリマエの戦果を挙げられなかったか、遅かったんだろうな。それと恩賞として分け与える領地が無かったから粛清されたんだと思うよ」

でもこれから村田雄浩さんが演ずる宇都宮鎮房(城井鎮房)も出て来る。炎立つでもそうだったけど、村田さんって中央政権に抵抗する役が似合ってる。これは期待しています。
でも、あの謀略、騙し討ちは描かれるのかな。

さて、黒田家のネタで私が気になることがある。
ジャン自室の史料棚にあるGakken書籍の一つをパラパラめくってたら、「在地系城郭と支城体制の終焉、家臣団統制に利用された元和城割令」という長ったらしいタイトル、難しい記事があった。
流し読みでも疲れたのでトバそうとしたら妙な一覧表があった。黒田家が筑前(福岡)に移封されてからの家臣団のその後というようなもの。
タイトルを見たら、「福岡藩・黒田家の六城主および万石クラスの大身の粛清」、という穏やかならぬタイトル。
その内訳が異様である。
粛清された家臣たち.jpg
まず六城制の重臣たち。

井上之房、黒崎城。。。17600石、忠之時代に知行没収、無継嗣断絶など
これって高橋一生さん演じる九郎右衛門のことですよ。
高橋一生.jpg
三宅家義。。。若松城、2700石、忠之時代に大幅減封。

母里(毛利)友信。。。鷹取城、14000石(18000石とも)、忠之時代に知行没収、立退き
速水もこみちさん演じる太兵衛ですね。随分な仕打ちですな。
速水もこみち.jpg
手塚光重。。。鷹取城、2700石、忠之時代に知行没収、召放ち
この人は後藤基次が長政との確執で出奔した後、前述の母里友信が益富城に移った後に鷹取城に入った。

そして後藤基次。。。益富城、14000石、長政時代の慶長11年出奔
これは有名ですね。二代目の社長、長政とソリが合わなかったということ。

中間(黒田)統種、松尾城、2500石、忠之時代に知行没収、立退き

栗山利安、麻氐良城、15000石、忠之時代に黒田騒動により南部氏預かり
濱田岳さん演じる善助の子です。主君忠之を幕閣に訴えたんです。
濱田岳.jpg
城持ちではないがまだいます。
黒田直之、12000石、長政時代に知行没収、牢人
加藤(黒田)一成、12000石(16000石とも)、万石クラスの者では唯一存続
黒田政成、10000石、長政時代に知行没収
黒田利則、10000石、長政時代に知行没収
彼らは黒田一門です。直之、利則は官兵衛の異母弟で、政成は官兵衛の実弟兵庫の嫡男だから甥にあたる。
黒田一成という人は官兵衛が有岡城で幽閉された時の牢番の息子で、藩祖を生き永らえさせた恩人だからこの家だけ別格扱い。

最期にもうひとり、小河之直、10000石、光之時代に知行没収
裏付けはないが、おそらくこの人は磯部勉さんが演じた小寺の重臣に連なる者かと思う。

この無情な仕打ちは官兵衛ではなく、二代長政~三代忠之~それ以降の仕置きです。知行を減俸か没収され、放逐されたか自ら身を引いたかです。
後藤基次みたいに長政とソリが合わず自ら出奔したのはさておき、これはどういうことなのか。

関ヶ原の恩賞で黒田長政が大領筑前を貰って福岡に本城を築いた際に筑前六端城の制を敷いた。
それは豊前との国境6ヶ所。そこに井上、母里、栗山他、創業時の重臣を据えた。同じ領国内に小大名が蟠踞してるように見える。
外城を与えられてたのか.jpg
だが慶長20年(1615年)に一国一城令が布かれる。大名の領国・・・すなわち後の藩に、大名が居住するか政庁とするのは一つの城郭のみで他は破却せよというもの。一部の例外(加賀藩、伊達藩他)を残して施行された。
それまでは黒田家に限らず、大身の一門や上級家臣、創業の功臣たちが実質上の城館の主だったのだが、それらを幕閣から出た命令だからという名目で没収、減封したのではないか。
これは幕府側からみたら諸国の大名勢力、軍事力を抑制して、徳川家の支配強化するのが目的で、その対象は外様大名の多い西国を睨んだに違いない。
だが案外とこの干渉に対して言い渡された大名側は迷惑に思わなかったのではないだろうか。長政や、黒田騒動で知られる忠之からしたら、創業以来の重臣が煙たくなっていて、国境に万石以上の家臣が6家もいてももったい限りだと。でも領主の意志だけで重臣たちの勢力削減を行うといろいろ面倒なので、幕府からそういう触れが出たのを幸い、分散してた上級家臣の持ち城をなくして力を削減、一国一城に纏めたのではないだろうか。結果、家臣団や領民が城下町に集まるという大名での中央集権、発展も進んだのである。
そして前述の表のようになった。もちろん明治まで存続した家もあったが、タイトルのとおりではないか。
ドラマではそこまで描かれるか。描かれまい。官兵衛が亡くなってからの話である。
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