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織田宗家七代の墓 [隠れ郷土史]

飲み記事が続いたので、今日の記事は酒を抜きます。

富岡市と高崎市吉井町に挟まれた甘楽町に小幡の城下町がある。
上州にトバされて最初の頃、都落ち気分でややクサってた私の無聊をなぐさめてくれた。http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-05-21
はためく幟.jpg
藩祖織田信雄がこの上野甘楽郡小幡を貰うまでには紆余曲折あった。
小田原北条氏が降伏して、信雄は家康の旧領、東海地方への移封を拒否して美濃を改易された。拒否した理由は織田家が世に出た尾張美濃から離れたくなかったというもの。
秀吉はそれまで信雄を侮りながらも織田宗家だから幾分立てていたと思うが、この転勤拒否で怒った。信雄の美濃尾張を没収して、常陸の佐竹家に預けた。
信雄はその後、秋田に配流された。(烏山、那須、伊予にも移されたという史料もあった)
秋田の安東という大名は信雄に冷たかったという。織田家がどういう者なのか知らなかったのではないか。信雄を城内に住まわせず、領内の琴丘という地に放り出し、土地の肝煎に遇させたという。
朝鮮役のドサクサに家康がとりなして、信雄は秀吉のお伽衆に加わり、大和国に領地を貰った。

だが、関ヶ原の参戦武将一覧に信雄の名がないのです。
家康に取り成して復帰したのだから東軍についたかというとそうでもないらしい。でも信雄が石田三成と親しかったという話も聞かない。
どうも大阪か京都にいたらしいのだが何をやっていたのだろうか。傍観してたのか。
そして関ヶ原戦後の諸侯配置一覧を見ると、西軍の名簿には載ってない織田秀雄という人が越前大野5万石を没収されている。
秀雄は信雄の嫡男なんです。信雄が秀吉に許されてお伽衆に加わった際に越前大野に封じられていた。どうも戦後、親子揃って改易になったようですね。これで信雄の改易は二度めです。
後世の我々からしたら結果論だけど、信雄さんは時節を見る目がなかった、二度も何やってんだと。空気が読めなかったとしか言いようがない。もったいないことをしたものである。
その後の行動も不可解で、豊家の大阪城に出仕していたが、開戦直前にトンズラしたと囁かれている。その噂のもととなるものは、大阪戦後の元和元年(1615年)、大和国とここ上野甘楽郡小幡で計5万石を与えらているからです。
確証はないが、織田有楽斎とは別ルートで間者みたいなことをしてたのかも知れない。
織田宗家ゆかりの里.jpg
この目印はバイパス沿いに建っています。
上州にいた頃、東京のお偉いさんを乗せてこの界隈を走った時、そのお偉いさんが助手席でこう叫んだものである。
「○○さんっ(私のこと)、織田信長がここにいたんですかっ?」
はぁ?って思ったよ。いるわけねぇだろって。腹ん中でアザ笑いながら、相手に丁寧に説明した。
「いたのは信長の二男信雄ですよ。秀吉が家康を関東に入れて、その後の東海地方へ信雄を動かそうとしたら信雄はヤダって拒否したんです。そしたら秀吉が怒って信雄の領地を没収してどっかにトバしちゃって、そのあとかなり経ってから、捨て扶持じゃないけどこの地を貰ったんですよ」
「へぇ。そうだったんですか」
「まぁ転勤を拒否したんだから当然ですよね」
これは上州転勤の私に引っ掛けて言ったイヤミなんだけどお偉いさんは爆笑してましたね。後部座席にいた私とソリの合わない別の上役は何の話かわからず苦虫潰してたけどね。

織田宗家の墓に行ってなかったので、先日、ちょっとだけ寄り道しました。
入口.jpg
案内板.jpg
車両は行き止まりだよ.jpg
この先にある.jpg
右手、遠くに写ってるのは菩提寺です。
右奥が菩提寺.jpg
お墓は撮影していません。この石段を上った平場にあります。
階段を上がったところが墓地.jpg
小幡藩は信雄を藩祖としているようだが本人はここ小幡に在住していたかどうか・・・。
二代藩主織田信良は信雄の四男です。三代信昌、四代信久、五代信就、六代信右(のぶすけ)、七代信富(のぶよし)と続き、八代信邦(のぶくに)が明和事件に巻き込まれて出羽高畠にトバされる。その後、天童に移って天童藩となる。
虚けの舞.jpg
家に一冊の小説がある。
主人公は信雄なんです。出家して常真と号している。
何故か準主役に北条氏規という人です。氏規が立て籠もった伊豆韮山城を包囲した上方軍の総大将は信雄だった。もっとも総大将といっても木偶に過ぎない。
賢い人に描かれてはいない。時の権力者秀吉に怯えるサマは読んでてしのびないくらい。
安土城の一件で、「焼かずともよい城を焼いたのか」という記載もありましたね。でも落魄しようと織田宗家の血は消えない。秀吉の死後も生き、豊家が滅んだ後も生きた。
生きて血族を残すのが信雄の勝ちいくさだったのである。
コメント(2) 

コメント 2

ナワ~ルド@峠おやじ

無事是名馬ですものね。

生物的には自分のDNAをいかにして残すか?
動植物の生き残り戦略は面白いです。

人間の場合、ドラマチックなのは見てて面白いだけ。
ハイリスク、ハイリターン。
庶民は見物をしてるに限ります。

by ナワ~ルド@峠おやじ (2014-06-29 18:01) 

船山史家

ナワさん毎度ご訪問ありがとうございます。
織田家って信長以外は傑物が出なかったし、幕政にも参与したと聞かないし、何か後世に残したのかなと思ったら、小幡を改易されたその後、出羽高畠から天童に移されて、当時、藩士の内職だった将棋の駒が現在に残っていますね。

後世のドラマは脚本家、演出家がイロを付けてると思います。
現実は我々後世が想像するほどドラマチィックではなく、単純で殺風景だったんじゃないでしょうかねぇ。
by 船山史家 (2014-06-29 18:40) 

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