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幻の上里見藩 [隠れ郷土史]

上里見藩は高崎史にも載っている。
存在したのは寛延元年(1747年)~明和4年(1767年)の僅か20年たらずだが、永井商店のある上里見にあったのは間違いない。
でも情報が少ない。事績もそうだが、何処に藩庁、陣屋があったかがわからない。

永井商店のばあちゃんに言われた道筋をたどる。
高台に向けて坂を上ると、そこに公園らしき場所があった。
公園入口.jpg
上里見丸山公園.jpg
何となくいい雰囲気です。だがここで政務を執ったのだろうか。街道からやや高いこの場所に置くだろうか。
上里見の町.jpg
やきそば永井商店のある上里見は江戸中頃には神山宿という草津街道の集落だった。中山道の脇道のようなものです。この辺りを江戸中期に上里見藩が統治していた。
烏川対岸にも室田という宿場町があっていろいろ争った面もあったらしいが、支配した陣屋があったのは川のこっち側(南側)の街道沿いです。

信号機の交差点表示が薄くなっていますが、上里見の交差点です。左折すると安中方面へ。
上里見交差点.jpg
市史から抜粋すると、上里見藩主は松平忠恒という人です。この人一代きりです。
忠恒は奥平松平家(長篠城で頑張って籠城した奥平家)の系譜にあたる。家康の外孫から続いている。
幕閣中枢にもいた人だが特に目立った事績はなく、国庫の出納役、西の丸諸事、日光東照宮修理、東照宮150回忌法会への参与、朝鮮通信使節の諸事、徳川家基元服儀式といった雑事を担当していたようで、幕閣の総務のような人だったらしいのだ。
その松平忠恒が上野邑楽郡篠塚藩・・・(これも謎でどういう藩で何処に藩庁があったかさっぱりわからない)・・・からここ上里見にやってきた。上里見の神山宿付近に東西50間(90メートル)、南北40間(72メートル)の陣屋を作って、離御殿、藩士屋敷、的場、道場、倉庫、牢屋、刑場まであったという。
だが陣屋でも藩庁でもいいが、神山宿か上里見のどの場所にあったかが明記されていない。
古図もなさそうだし、誰かが発掘したというのも聞かない。今の地図、番地を見ても神山という地名は明記されていないので余所者の私にはわからない。
この辺りの何処かいろいろ探ってみたのだが、集落の南にある伊勢山という場所とか、私が立っている丸山公園がそうだとか・・・。
公園の最頂部.jpg
何かの供養塔?.jpg
上里見城の記載.jpg私が立っているこの公園も某サイトに載ってたというだけです。そのサイトにも松平忠恒の陣屋という記載はなかった。長野業政の娘婿、里見宗義という人のものだという。上州侵攻を阻もうとする長野氏の防衛ラインの一画の一部のようです。

里見橋台散策時に地元の果樹園のオバちゃんから「里見の郷」という小冊子をいただいた。
裏面に新田氏~里見市の散策MAPがあって、そこの②に上里見城がちっちゃく載っていた。だがこれは南北朝時代の里見義時という人の要害だという。(左写真)
この上里見城=上里見陣屋?と混同しがちだが、写真を見ると草ぼうぼうの山の斜面に見えますね。泰平にダレた江戸中頃に、近世の陣屋をこのような場所に置くだろうか。
どうも上里見城、神山陣屋、上里見陣屋とあって、南北朝時代の里見義時の要害、近世の上里見陣屋が混同されているようなのだ。
上里見藩、陣屋は里見氏とは全く関係の無いものです。
MAP.jpg
帯郭?.jpg
段差1.jpg
付近は果樹園か雑木林になっていて、帯郭や腰郭のような段差が如何にもそれっぽく見えるが、泰平になってずいぶん経った江戸中頃の陣屋にそういうのは不要です。
街道から見てやや高い台地の中腹にあって、江戸中頃の政庁があった場所としては微妙です。
だからここがそうだという確証はない。候補地に立ったというだけの記載に留めます。

松平忠恒は幕閣にいたので参勤交代もなかった。ということはここ上里見にどれだけカオを出したかはわからないです。家臣の誰かを派遣して統治していたんでしょう。
前述のように上里見藩は松平忠恒一代きり事績20年足らずで終わった。何で僅か20年だったかというと、近隣の甘楽郡小幡藩の織田家がポシャったからです。
小幡藩はご存じ信長の二男織田信雄さんの系譜だが、信雄の次に織田信良、信昌、信久、信就、信右、信富と六代続くのだが、七代めの織田信邦という人が明和事件に巻き込まれて出羽高畠に移封させられる。その後に松平忠恒が送り込まれた。
小幡藩の松平家は維新まで続くが、上里見は一代で廃藩になってしまったというわけです。その後は天領になったと思います。
所在図.jpg
上野国はやたらと藩が多かった国です。それは戦国期に武田北条長尾の草刈り場だたこと、一国を纏める大名が現れなかったこと、江戸から近かったので譜代藩と天領がゴッチャになっていたこと等の理由が挙げられる。
明治維新を迎えた藩は、高崎藩、前橋藩、沼田藩、安中藩、伊勢崎藩、七日市藩、吉井藩、小幡藩、館林藩。。。
バブルのように消えた藩は、総社藩、那波藩、板鼻藩、矢田藩(吉井藩の前身)、上野豊岡藩・・・(高崎市豊岡の常安寺らしいが詳細不明)・・・大胡藩、白井藩、青柳藩、篠塚藩。。。
そして里見藩。。。いずれも小さい藩だった。
里見氏については研究者もおられるようだが、それよりずっと近世に近い江戸中頃の上里見藩とその庁舎・陣屋は何処にあったのか。上里見神山三町付近にあったとだけの記載しかなく、その場所、全貌は幻に包まれている。
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