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幻の豊岡藩 [隠れ郷土史]

先日、焼きそばで有名な永井商店の界隈が、実は上里見藩の城下町で、それは僅か一代で消滅してしまった幻のような藩であることを掲載しました。
その調査時に同じ高崎市内の郊外で偶然引っかかったのが豊岡藩です。これも僅か1万石の陣屋規模で、群馬八幡駅から東の豊岡という町一帯を領していた。
(〇〇〇〇のマスターが豊岡のどっかに住んでいるってきいたことがあるが。。。)
写真はその陣屋のあった辺り、常安寺というお寺。
参道.jpg
常安寺2.jpg
豊岡藩も上里見藩同様、詳細が全くわからない謎の藩で、市の資料には禰津(根津)という領主が二代に渡って24年、この地豊岡を領したというが。。。
『史料の不足により領主の経歴や半領域などは未詳で、内容や藩政の展開については明らかにできない』
まるで開き直ったように記載してあった。
陣屋の名称は禰津陣屋となっていて、その所在地については群馬県高崎市下豊岡町常安寺とあった。現地に行ってみたら確かに常安寺という寺院があり、そこの解説版に、豊岡領主禰津神平常安公により建立される。。。とある。
解説版2.jpg
禰津???
信濃小県郡の滋野一族ではないか。
滋野一族は海野氏、(禰津)根津氏、望月氏の三家といって、小県郡、佐久一帯にハバを利かした時代もあったが、後年、北信濃の雄、村上義清に押されて衰退する。

風林火山で禰津氏は登場していません。望月氏はいた。村上義清(演:永島敏行さん)に救援を求めて落ち延びて胸倉掴まれてましたね。
滋野一族、望月.jpg村上に胸倉掴まれる望月.jpg村上と望月.jpg

豊岡藩、禰津陣屋藩の基になる人は禰津政直という人で、この人は天文10年(1541年)、北信濃の村上義清に敗北し真田幸隆と上州に逃亡する。旧領に複せんとして天文14年(1545年)に甲斐武田に降り、武田晴信の傘下に下った。
その後、諏訪攻略、佐久侵攻、志賀城戦といった武田の勢力拡大の為に信濃先方衆として前線で酷使された。かつての信濃の同族を討つ先鋒にもされた。
いいように使われたようだが禰津政直もさる者、妹を晴信の側室に入れている。米沢に眠る武田信清の母になる禰津御寮人という女性です。
信州攻略が落ち着き、晴信の飢狼のような目が上州に向く。政直は永禄10年(1567年)に上州箕輪城の在番も務めたという。ホッと一息入れたことだろう。
政直の嫡男、禰津月直という人は長篠で戦死したそうです。その後、織田の大軍が信州甲州に攻め入って来た際、政直自信はたまたま信州川中島の北にある飯山城(長野県飯山市)というところに居て上杉景勝へ援軍を要請していた為に滅亡の難を逃れたという。
武田が滅んだ後、禰津政直は家康に鞍替えし禰津姓から根津姓に変えて家臣となった。家康の関東移封後、ここ上州豊岡に所領を得た。
当初は5000石だったのを、慶長7年(1602年)、根津政直の子、信政が5000石加増され、僅か1万石でこの地に上野豊岡藩を立藩する。
関ヶ原で東軍に属したのでその褒賞らしい。自室にある史料、戦後の諸侯配置で封土加増一覧の末席に近い位置に載っていた。
常安寺1.jpg
その後、政次という人、その死後に養子となった信直(吉直とも)という人が継承するがいずれも短命で、寛永3年(1626年)4月に病死したら根津家は継承者がいなくなり、上野豊岡藩は廃され公収された
真田氏も海野氏の支流と謳っているが、その真田氏と根津氏だけが近世に藩として存続した・・・かのように見えたが、真田家はともかく根津氏は長くはない。僅か三代で終わった。

豊岡藩という藩があったのは間違いないが、最近、豊岡藩で検索すると京極家の但馬国豊岡藩が出てくる。
但馬国だから兵庫県で、豊岡藩とは豊岡市らしい。どの辺りかなと思って豊岡市で検索すると、この人が出て来るのは困ったもの。
号泣議員さん.jpg
ええっと、すみません、この議員さんは上州豊岡には無関係でございます。
現地に行って確認したのですが、高崎市下豊岡町の常安寺近辺は平地で要害性は全くない。それでも旧中山道が近くを通っていたのもあって、近世にあった代官所規模の雰囲気を醸し出していた。
それっぽい場所1.jpg
後世の石垣.jpg
それっぽい場所2.jpg
史料から.jpg
市の史料には根津陣屋となっている。
常安寺そのものを陣屋の図として載せてあったが、他に史料が無いのだからそれしか載せられなかったの違いない。
藩の事績も家臣団も全くわかっていない。
わざわざ行く人はいないだろうけど、最寄駅は群馬八幡駅です。だからというわけではないが、この日の夜はこの店に行きました。
縦看板.jpg
コメント(4) 

コメント 4

ナワ~ルド@峠おやじ

ほんと、あの人には困ったものです。
一般常識にも欠けているので逮捕してもらいたいです。

豊岡市は女房の母親の実家があるのと、コウノトリ
で馴染み深いです。

by ナワ~ルド@峠おやじ (2014-07-12 11:05) 

船山史家

ナワさんおはようございます。
豊岡市は奥様のご実家でしたか。それなら気になりますよね。では是非城崎温泉にでも。。。(笑)
その議員さん抜きでも知名度では上州豊岡より、但馬豊岡の方が知られていると思います。何せ京極家ですから。維新まで続きましたし。
豊岡藩と上里見藩の間に板鼻藩というこれまた小さい幻の藩があったそうです。上州は藩がたくさんあったんですよ。
by 船山史家 (2014-07-13 07:53) 

ナワ~ルド@峠おやじ

豊岡は義母の実家なので、話を聞くだけで行かないです。学生のときの方が行きましたね。

群馬はぐんまちゃんとか新島先生くらいしか認識してなかったら、富岡が世界遺産に決まって、たまげました。

美濃も尾張に徳川がいた関係上、雄藩はありません。初めの頃の奥平加納藩か、幕末の高須藩くらいでしょうか。
by ナワ~ルド@峠おやじ (2014-07-13 16:13) 

船山史家

ナワさんこんばんは。
お義母さんのご実家ね。失礼しました。
群馬は北条、武田、長尾の草刈り場みたいだから、突出した群雄が出なかったのと、江戸から近いので外様の雄藩を持って来るわけにもいかず、小さい譜代藩と天領がごちゃ混ぜに入り組んでるようです。その中には吉良家もありました。
小さい譜代藩しかないのは、家康公がケチだから?あまり譜代家臣に大きい禄は与えなかったみたいですね。
奥平家の発症は高崎市吉井町奥平とありましたが、今は凄い藪になって簡単な解説板があるだけなんです。
富岡製糸場は外から眺めただけで、中には一度も入りませんでした。知人にオメデトウとだけ言いました。
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by 船山史家 (2014-07-13 20:13) 

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