船山温泉 [船山温泉]
今日で2013年も終わりますが、タイトルに「船山」と謳っておきながら、今年は船山温泉の記事が全然ないじゃないかと自分でも思っております。
上州に入れ込んで、船山温泉のカテゴリがちっとも増えやしない。調べてみたら、前回の宿泊記は2013年7月5日だった。梅雨の合間ですね。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/archive/c2303479205-1
宿とはリンクしていただいてるが、現在のⅡより、船山99の謎他、船山記事が多かったⅠの方をリンクし直した方がいいかも館長殿。すみません。
南部街道を左折して船山川沿いに走ってたら後続に軽自動車がくっついてきた。ミラーで見たら、初老の丸っこい女性が運転してる。如何にも狭そうな軽の車内。
「後ろにくっついてるのはTさんじゃねぇか?」
「Tさん?」
ジャン妻も振り向こうとしたが太い首が後ろに回らないみたい。Tさんとは退職された船山スタッフです。
間違いない。Tさんです。ミラーに映る軽自動車を運転するTさんは転席で車内いっぱいに膨れ上がって・・・
そうでもないな・・・お痩せになったな。
船山へ向かう道の最後の細い十字路を左折して橋の袂にくるまを停めたら、Tさんの軽は右折して船山に所縁のある明治の私塾、淇水軒学舎跡方面へ上がっていった。
(Tさんは他から嫁いで来た方なので、淇水軒学舎についてはご存じないらしい。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02-1)
こっちはくるまを降りて手を振る。
Tさんの軽が止まったぞ。運転席からTさんが降りて来た。やはり少しお痩せになったようだったがお元気そうです。
こちもくるまを寄せてしばしお話しました。まだ働いているそうな。「だって働かないと私、生きていけないモン」
僅かな時間だったが久闊を叙した。

「会えてよかったね」(ジャン妻)
「そうだな」
Tさんと別れ、船山館へ向かう一本道のラストラン途中、前にいた男性スタッフは2人ともいるかな。どっちか辞めたりしてねぇだろうなって気になった。
「館長は厳しいからね」(ジャン妻)
駐車場に滑り込む。私らにしてはやや遅い時間、3時にチェックイン。余計な心配した男性スタッフは2人ともいた。やれやれと思う反面、この宿は女性っ気が薄れたように感じる。
「男性の方が使いやすいんだよ。女性はどうしても家庭に入るからね」(ジャン妻)
フロント前のエントランスにはパンフだけで他は何も置いてなかった。
ゴテゴテした誰かの芸術品の展覧会、品評会や、飾り立てがなくてスッキリしていた。庭が、池が、目の前の山が見える。やはり人工的なモノを置くより何もない方がいい。



この時期、陽が沈むのは早い。
既に初冬、薄暮に溶け込む前の船山館周辺の自然です。






おや?
前に掲載した大正六年の罵倒観世音がなくなってるぞ。


誰だ削り取ったヤツは。(苦笑)



ジャン妻の誕生日祝いです。
男性スタッフに、「5○歳だってよ」って耳打ちする。




いつも同じ夕餉だが猪鍋が鉄鍋から土鍋になった。長年使い古した鉄鍋は錆びちゃったのかな。
後日、この鍋の写真をジャン母に見せたら、「猪肉、固いでしょ」
固いでしょったってアナタ一度、この宿に行って食べてますよ。覚えてないのかな。
「煮込めば柔らかくなるの」
「豚肉って煮込めば固くなるでしょ」
「豚肉じゃないって。猪は煮込めば柔らかくなるの」
ジャン母は一度だけ船山に来ている。この時は「猪肉は固いでしょ」以外にも、「イワナは刺身で食べれるの大丈夫?」おそるおそる未知の食材に最初は腰が引けてたが、イワナなんか一切れ喰って「美味しい!!」驚嘆していた。しまいに岩魚の薄造りをひと箸で三つくらいゴッソリさらって口に運んでた。
でもそれ一度っ切り。ジャン母は宿や温泉よりも周辺の観光を重視、宿入り時間ギリギリまで観光しまくる旅行スタイルなので俺らとは価値観が合わないのだ。何で同じ宿ばかり行くのかも理解できないみたい。


最近のHPを見たら猪鍋とは別に野菜の蒸し鍋みたいなのがあった。
私らはもう「いつものコースで」しか言わないけど、蒸し鍋は猪肉が苦手な人への配慮だと思う。蒸し鍋の具はキャベツ、ゴボウ、ブロッコリー、レンコン、里芋、プチトマト・・・。
野菜が高騰してる折、贅沢な鍋ではあるが。。。

何てヘルシーな鍋。肉は入ってないのかな??
何のタレで食べるんだろう??
「ポン酢かな。」(ジャン妻)
「マヨネーズじゃねぇの」

船山ではカクテルが増えた。
コラモモ、船山クラシック、ビッグアップルだって。ノンアルコールもある。「笹一」の熱燗を好む私なんかが飲むモンじゃないが、疑問なのは。。。
「誰がシェイカー振ってるんだろ?」
「2人いる男性のどちらかじゃないの?」
TVに出た実績がある女性、Mさんが笹一の熱燗を持ってきたぞ。
「厨房にいるんですよ。○○さんがお見えになってるって聞いたので。。。」
「久しぶり。今日、来る途中でTさんに会ったの」
「何かデケぇ女が軽を車内狭そうに運転してっからTさんじゃないかって停めたらホントにTさんだった。少し痩せましたね」
もしかして船山でカクテルを作ってるのはMさんか???
「ヨカッタ、いたいた」
「会えてヨカッタね」
「クビになってないでヨカッタ」
「・・・」
これは悪い冗談であっても悪気はないので気にしないで下さいね。




庭の池周囲に、椅子、テーブルを置いてはみたが、あまり利用する人はいないそうである。
夏場だったら館内自販機の缶ビール飲みながら佇む人はいるかも知れない。


冬枯れの船山。
これから年明け1月2月は船山にとって厳しいシーズンに入る。
何故かって?客が少ないからです。周辺に何があるでもなく雪景色になるわけでもない。首都圏が雪景色にならない限りこの地が雪景色になることは殆どない。2月3月に来たいのだが、年明けから春にかけて社内政変があるのでちょっと先が見えないのだ。
(それが見えてからいきなり平日でも予約すっかな。。。)
私らは年間を通して新緑の頃の船山が好きなのだが、桜の開花の頃だけは来たことがないのです。
「桜の時期は未だですよね?」(館長)
「うん。こヤツが。。。」
ジャン妻は経理なので、3月の締め~4月の本予算の関係で4月は超多忙、桜の時期だけは来れないのである。
「船山の桜は俺らが引退してからになるかな。ひとりで花見にだけでも来ようかな」

皆様、酔い・・・じゃなかった、良いトシをおトリ・・・じゃなくて、お迎えください。
上州に入れ込んで、船山温泉のカテゴリがちっとも増えやしない。調べてみたら、前回の宿泊記は2013年7月5日だった。梅雨の合間ですね。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/archive/c2303479205-1
宿とはリンクしていただいてるが、現在のⅡより、船山99の謎他、船山記事が多かったⅠの方をリンクし直した方がいいかも館長殿。すみません。
南部街道を左折して船山川沿いに走ってたら後続に軽自動車がくっついてきた。ミラーで見たら、初老の丸っこい女性が運転してる。如何にも狭そうな軽の車内。
「後ろにくっついてるのはTさんじゃねぇか?」
「Tさん?」
ジャン妻も振り向こうとしたが太い首が後ろに回らないみたい。Tさんとは退職された船山スタッフです。
間違いない。Tさんです。ミラーに映る軽自動車を運転するTさんは転席で車内いっぱいに膨れ上がって・・・
そうでもないな・・・お痩せになったな。
船山へ向かう道の最後の細い十字路を左折して橋の袂にくるまを停めたら、Tさんの軽は右折して船山に所縁のある明治の私塾、淇水軒学舎跡方面へ上がっていった。
(Tさんは他から嫁いで来た方なので、淇水軒学舎についてはご存じないらしい。http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-05-02-1)
こっちはくるまを降りて手を振る。
Tさんの軽が止まったぞ。運転席からTさんが降りて来た。やはり少しお痩せになったようだったがお元気そうです。
こちもくるまを寄せてしばしお話しました。まだ働いているそうな。「だって働かないと私、生きていけないモン」
僅かな時間だったが久闊を叙した。

「会えてよかったね」(ジャン妻)
「そうだな」
Tさんと別れ、船山館へ向かう一本道のラストラン途中、前にいた男性スタッフは2人ともいるかな。どっちか辞めたりしてねぇだろうなって気になった。
「館長は厳しいからね」(ジャン妻)
駐車場に滑り込む。私らにしてはやや遅い時間、3時にチェックイン。余計な心配した男性スタッフは2人ともいた。やれやれと思う反面、この宿は女性っ気が薄れたように感じる。
「男性の方が使いやすいんだよ。女性はどうしても家庭に入るからね」(ジャン妻)
フロント前のエントランスにはパンフだけで他は何も置いてなかった。
ゴテゴテした誰かの芸術品の展覧会、品評会や、飾り立てがなくてスッキリしていた。庭が、池が、目の前の山が見える。やはり人工的なモノを置くより何もない方がいい。



この時期、陽が沈むのは早い。
既に初冬、薄暮に溶け込む前の船山館周辺の自然です。






おや?
前に掲載した大正六年の罵倒観世音がなくなってるぞ。


誰だ削り取ったヤツは。(苦笑)



ジャン妻の誕生日祝いです。
男性スタッフに、「5○歳だってよ」って耳打ちする。




いつも同じ夕餉だが猪鍋が鉄鍋から土鍋になった。長年使い古した鉄鍋は錆びちゃったのかな。
後日、この鍋の写真をジャン母に見せたら、「猪肉、固いでしょ」
固いでしょったってアナタ一度、この宿に行って食べてますよ。覚えてないのかな。
「煮込めば柔らかくなるの」
「豚肉って煮込めば固くなるでしょ」
「豚肉じゃないって。猪は煮込めば柔らかくなるの」
ジャン母は一度だけ船山に来ている。この時は「猪肉は固いでしょ」以外にも、「イワナは刺身で食べれるの大丈夫?」おそるおそる未知の食材に最初は腰が引けてたが、イワナなんか一切れ喰って「美味しい!!」驚嘆していた。しまいに岩魚の薄造りをひと箸で三つくらいゴッソリさらって口に運んでた。
でもそれ一度っ切り。ジャン母は宿や温泉よりも周辺の観光を重視、宿入り時間ギリギリまで観光しまくる旅行スタイルなので俺らとは価値観が合わないのだ。何で同じ宿ばかり行くのかも理解できないみたい。


最近のHPを見たら猪鍋とは別に野菜の蒸し鍋みたいなのがあった。
私らはもう「いつものコースで」しか言わないけど、蒸し鍋は猪肉が苦手な人への配慮だと思う。蒸し鍋の具はキャベツ、ゴボウ、ブロッコリー、レンコン、里芋、プチトマト・・・。
野菜が高騰してる折、贅沢な鍋ではあるが。。。

何てヘルシーな鍋。肉は入ってないのかな??
何のタレで食べるんだろう??
「ポン酢かな。」(ジャン妻)
「マヨネーズじゃねぇの」

船山ではカクテルが増えた。
コラモモ、船山クラシック、ビッグアップルだって。ノンアルコールもある。「笹一」の熱燗を好む私なんかが飲むモンじゃないが、疑問なのは。。。
「誰がシェイカー振ってるんだろ?」
「2人いる男性のどちらかじゃないの?」
TVに出た実績がある女性、Mさんが笹一の熱燗を持ってきたぞ。
「厨房にいるんですよ。○○さんがお見えになってるって聞いたので。。。」
「久しぶり。今日、来る途中でTさんに会ったの」
「何かデケぇ女が軽を車内狭そうに運転してっからTさんじゃないかって停めたらホントにTさんだった。少し痩せましたね」
もしかして船山でカクテルを作ってるのはMさんか???
「ヨカッタ、いたいた」
「会えてヨカッタね」
「クビになってないでヨカッタ」
「・・・」
これは悪い冗談であっても悪気はないので気にしないで下さいね。




庭の池周囲に、椅子、テーブルを置いてはみたが、あまり利用する人はいないそうである。
夏場だったら館内自販機の缶ビール飲みながら佇む人はいるかも知れない。


冬枯れの船山。
これから年明け1月2月は船山にとって厳しいシーズンに入る。
何故かって?客が少ないからです。周辺に何があるでもなく雪景色になるわけでもない。首都圏が雪景色にならない限りこの地が雪景色になることは殆どない。2月3月に来たいのだが、年明けから春にかけて社内政変があるのでちょっと先が見えないのだ。
(それが見えてからいきなり平日でも予約すっかな。。。)
私らは年間を通して新緑の頃の船山が好きなのだが、桜の開花の頃だけは来たことがないのです。
「桜の時期は未だですよね?」(館長)
「うん。こヤツが。。。」
ジャン妻は経理なので、3月の締め~4月の本予算の関係で4月は超多忙、桜の時期だけは来れないのである。
「船山の桜は俺らが引退してからになるかな。ひとりで花見にだけでも来ようかな」

皆様、酔い・・・じゃなかった、良いトシをおトリ・・・じゃなくて、お迎えください。
2013-12-31 11:29
コメント(2)
2013年ラスト [居酒屋]
しばらく行かなかった。
アド街放映後に勝負に出たこの店は4号店を開店した。支店が増えたことでこっちの本店もバタバタしてるんだろうなと思ってな~んとなく足を向けなかったのと、私も大船や上州他で浮気をしていた。



その前、10月の某日、この店で最も高いメニュー、さがり丼です。1200円だったかな。

サガリってのは牛の横隔膜の一部で1頭の牛から少ししか取れないらしい。だから高い。
ハラミとは違います。ハラミは脂が多めですが、サガリは赤身に近いといっていい。
まっ、一度、喰えばいいかな。
これはカワハギの肝和え。

10月に開業予定の4号店OPENに伴い幾人かスタッフの異動があったようで、スタッフの顔ぶれが若干変わった。
バイトさんの新顔も増えた。新顔さんは熱燗の浸け方なんて知らない子が殆ど。バイト君が辞めて、採用して、私のオーダーが入る度に参謀格のMさんや先輩男性が教えている。
混んでたのでジャン妻と2人で左暖簾のテーブル席。生ビールから熱燗に移行したら、新人さんが持って来たのはアルミのチロリだった。まっ、いいかと思って黙って飲んでたら・・・
二杯目から錫のチロリに変わった。。。
壁側のジャン妻から見て、「Mさんの目が光ってたよ。チロリをじーっと見てたモン。」
「???」
「ピクッてしたてよ。アルミのチロリを見て、この人はこれじゃないって気付いたんじゃないかな?」
「へぇ。。。」
確かにMさんはバイト君にコショコショ耳打ちしてたようだったね。私は二杯目、重たい錫のチロリを重そうに持って来たバイト君に、「悪いなぁ。いつも手間のかかる客でよぉ」
熱燗ってのは難しいものなのです。

その後、右暖簾が空いたので移動した。カウンター私の隣の男性、常連さんがアルミのチロリで燗酒を飲っていて、私の錫のチロリをチラリと見て、
「それって何ですか?」
私が家から持って来たマイチロリだとでも思ったんだろうかね。その常連さんはこの錫チロリがあったのをご存じなかったようで、「それって熱燗ですか?」
「そう。夏でも熱燗です。高いですよこれ。ネットで見たら15000円から20000円しました。」(私)
「2万円!!」
「そんなにするの?」(ホロ酔いのジャン妻)
「ホントはお店の全部これにしたいんだけど高いから。ウチの店でこれ1個しかないの。」(マスター)
「持ってみます?重いですよ」
「ズシッとしますねコレ。いつもこれなんですか?」(常連さん)
「そうですね。他でどなたかが先に使われてなければね。」
「いいなぁこれ。次回、俺が使ってたらゴメンなさいね。」(常連さん)
「どうぞどうぞ」
この錫のチロリは一時、行方不明になった時がある。行方不明期間中はアルミチロリだったんだが、
「錫だと重いし安定してるけど、アルミのチロリだと軽いからついうっかり倒しちゃったりしますね。一時期これがどっかいっちゃって、そこの上の棚から出て来たんですけど、店側は私が持ち帰ったんじゃないかって半分ジョークで疑われましたから。。。笑」
「家宅捜索行こうか~って話になったんだよねぇ」(Mさん)
「でも悪徳刑事ってわざと白い粉を現場に隠して、それを見っけて容疑者にでっちあげるんだよな」
「じゃぁ次回、俺もこれがいいな。でもこれオタクんでしょ?名前書いとかないと・・・」(常連さん)
「いえいえ、これはこの店皆さんのものですよ。1個しかないんだから」
そこで一旦、会話は途切れた。お隣の常連さんは4号店の話題に逸れた。
4号店か。。。
新年になったら行くつもりだが、4号店は相当な難産だったようで、10月のOPEN初日にトラブルが発生して本格稼働は1ヶ月遅れたそうです。
「行かれたの?」(Mさん)
「いやまだ。いずれ行きますが2号店の上ですよね。前からOPEN狙ってたんですか?」って突っ込んだら、たまたま物件が空いたので、どうですか?という話になったらしいんだな。
「マスター、4号店に投資する分をこの錫のチロリに廻せばもう数個は増えるんじゃないの?」
私は常連さんをたてながら、こっちの存在感も打ち出しているのです。

またまた別の日。
この日はカサゴ、ヒラメ、いきなり刺身を2種オーダー。
「2種類いきますか?」
「いついくか。今でしょ」
2つを一皿でもヨカッたんだが、別々に供されました。





「カサゴのアタマって美味いよ。300円で焼くから食べてごらん?」って出されたのがこれ。

私はこういうお頭焼きを食べるのが下手なんだが、ほじりながらいただきました。そしたら隣席の常連さんが、「マスター、このカサゴってアタマだけってあるの?刺身を注文しなきゃないの?」
「いや、あるかも。オオイっ、カサゴのアタマだけってあるか?」
私は「食べ難いですよ」って言いかけたが止めといた。
三浦大根のタクアンです。
市営地下鉄の神奈川新聞ニュースにも収穫の記事が貼ってあったね。でも現在は作付量が減り、出荷、流通は冬季に備えてのみです。




この三浦大根のタクアンは年内最後に行った時にテイクアウトしたんだが、冷蔵庫ん中でかなりキョーレツな香を発散したのにジャン妻が閉口した。
「何これ??何のニオイ?」
「タクアンだよ。鳥佳のテイクアウト」
「これは他のと一緒に入れておけないワ。出しとくね」
「今夜の晩飯に出してよ」
「アナタはこういうのを摘むと飲みすぎるからダメ」
「そんなこと言ってたらタクアン消費しないでニオイがそのまんま残るだけじゃないか」





年内最後に行った日。激混みは必定である。
「1時間でいい?」(Mさん)
「充分でさ。サッとあがりますよ」



つくね鍋です。
昨今、ひとり鍋の店が増えた。吉野家もそう。それに倣ったのだろうか。
マスターが焼いた銀杏を添えてくれた。
この鍋、いいんだけどイマイチ薄味だな~。藤沢のSYOWみたいにもうちょっと飛び抜けたアクセントが欲しいな。生姜とか。柚子胡椒とか。


「半ご飯ちょーだい」
私が何を企んでるかマスターはすぐにわかったらしい。玉子を出してくれた。
「よくわかりましたね」
「
」
雑炊が完成したぞ。


同じ味なので飽きてきたら醤油を少しだけタラリ。
雑炊が最後の一杯になった時に、
「約束1時間だからあと15分くらいだよね」
「うん、まだ大丈夫よ」
急いで煮込みをオーダー。だが煮込み&サラダ&スープ担当、時々焼き方も担当、私が”ダル”と呼んでいる若いモンが体調悪そう。
「風邪?」
「ハイ・・・」
デカい図体して今にも倒れそう。この卵雑炊喰えば風邪くらい治るかも。


どうも視線を感じる。
自意識過剰かも知れないが、錫のチロリ、カサゴのアタマ焼、狭い店だけに周囲に見られてるように感じる。
煮込みを半ご飯にブッかけた時もじーっと見られた。
アジタタキを半ご飯にブッかけた時もじーっと見られた。
鯵一夜干しを中骨、尻尾、アタマ、ヒレ、残さず平らげた時は驚嘆された。ネコすら喰う場所ないって。
今日は半ご飯に生玉子、何をやらかそうとするのかなこのオヤジは?という視線を感じる。
でも雑炊くらい誰だってやるだろうよ。固形燃料が案外と長持ちするので、雑炊でもうどんでもセットにすればいいのさ。
「他にもこういうことするお客さんっているでしょ?」
「いや~、初めて見ました~」(Mさん)



「まさか年越しは群馬じゃないですよね?」
「こっちですよ。昨日、群馬に行ってきたばっかだけど」
「お忙しいんですね?」
「いやヒマですよ。好きで行ってるだけ」
「
」
そろそろ約束の定刻1時間が迫った。予約のひとり客が幾人か暖簾を潜って入ってくる。
私も定量の熱燗三合(実際、入ってるのはそれ以上。。。)でちょうどいい酔い加減である。
私は参謀格のMさんに頷いて席を立ち、目でお会計をお願いした。



来年はそろそろ落ち着いたであろう4号店に行くつもりです。
そこは今しがたまでいた居心地いい本店、薄暗い2号店、深海魚のような3号店と違って、カジュアルで若者向けな雰囲気らしい。


4号店には群馬泉はないだろうけど。
2013年のこの店通いが終わった。

"
アド街放映後に勝負に出たこの店は4号店を開店した。支店が増えたことでこっちの本店もバタバタしてるんだろうなと思ってな~んとなく足を向けなかったのと、私も大船や上州他で浮気をしていた。



その前、10月の某日、この店で最も高いメニュー、さがり丼です。1200円だったかな。

サガリってのは牛の横隔膜の一部で1頭の牛から少ししか取れないらしい。だから高い。
ハラミとは違います。ハラミは脂が多めですが、サガリは赤身に近いといっていい。
まっ、一度、喰えばいいかな。
これはカワハギの肝和え。

10月に開業予定の4号店OPENに伴い幾人かスタッフの異動があったようで、スタッフの顔ぶれが若干変わった。
バイトさんの新顔も増えた。新顔さんは熱燗の浸け方なんて知らない子が殆ど。バイト君が辞めて、採用して、私のオーダーが入る度に参謀格のMさんや先輩男性が教えている。
混んでたのでジャン妻と2人で左暖簾のテーブル席。生ビールから熱燗に移行したら、新人さんが持って来たのはアルミのチロリだった。まっ、いいかと思って黙って飲んでたら・・・
二杯目から錫のチロリに変わった。。。
壁側のジャン妻から見て、「Mさんの目が光ってたよ。チロリをじーっと見てたモン。」
「???」
「ピクッてしたてよ。アルミのチロリを見て、この人はこれじゃないって気付いたんじゃないかな?」
「へぇ。。。」
確かにMさんはバイト君にコショコショ耳打ちしてたようだったね。私は二杯目、重たい錫のチロリを重そうに持って来たバイト君に、「悪いなぁ。いつも手間のかかる客でよぉ」
熱燗ってのは難しいものなのです。

その後、右暖簾が空いたので移動した。カウンター私の隣の男性、常連さんがアルミのチロリで燗酒を飲っていて、私の錫のチロリをチラリと見て、
「それって何ですか?」
私が家から持って来たマイチロリだとでも思ったんだろうかね。その常連さんはこの錫チロリがあったのをご存じなかったようで、「それって熱燗ですか?」
「そう。夏でも熱燗です。高いですよこれ。ネットで見たら15000円から20000円しました。」(私)
「2万円!!」
「そんなにするの?」(ホロ酔いのジャン妻)
「ホントはお店の全部これにしたいんだけど高いから。ウチの店でこれ1個しかないの。」(マスター)
「持ってみます?重いですよ」
「ズシッとしますねコレ。いつもこれなんですか?」(常連さん)
「そうですね。他でどなたかが先に使われてなければね。」
「いいなぁこれ。次回、俺が使ってたらゴメンなさいね。」(常連さん)
「どうぞどうぞ」
この錫のチロリは一時、行方不明になった時がある。行方不明期間中はアルミチロリだったんだが、
「錫だと重いし安定してるけど、アルミのチロリだと軽いからついうっかり倒しちゃったりしますね。一時期これがどっかいっちゃって、そこの上の棚から出て来たんですけど、店側は私が持ち帰ったんじゃないかって半分ジョークで疑われましたから。。。笑」
「家宅捜索行こうか~って話になったんだよねぇ」(Mさん)
「でも悪徳刑事ってわざと白い粉を現場に隠して、それを見っけて容疑者にでっちあげるんだよな」
「じゃぁ次回、俺もこれがいいな。でもこれオタクんでしょ?名前書いとかないと・・・」(常連さん)
「いえいえ、これはこの店皆さんのものですよ。1個しかないんだから」
そこで一旦、会話は途切れた。お隣の常連さんは4号店の話題に逸れた。
4号店か。。。
新年になったら行くつもりだが、4号店は相当な難産だったようで、10月のOPEN初日にトラブルが発生して本格稼働は1ヶ月遅れたそうです。
「行かれたの?」(Mさん)
「いやまだ。いずれ行きますが2号店の上ですよね。前からOPEN狙ってたんですか?」って突っ込んだら、たまたま物件が空いたので、どうですか?という話になったらしいんだな。
「マスター、4号店に投資する分をこの錫のチロリに廻せばもう数個は増えるんじゃないの?」
私は常連さんをたてながら、こっちの存在感も打ち出しているのです。

またまた別の日。
この日はカサゴ、ヒラメ、いきなり刺身を2種オーダー。
「2種類いきますか?」
「いついくか。今でしょ」
2つを一皿でもヨカッたんだが、別々に供されました。





「カサゴのアタマって美味いよ。300円で焼くから食べてごらん?」って出されたのがこれ。

私はこういうお頭焼きを食べるのが下手なんだが、ほじりながらいただきました。そしたら隣席の常連さんが、「マスター、このカサゴってアタマだけってあるの?刺身を注文しなきゃないの?」
「いや、あるかも。オオイっ、カサゴのアタマだけってあるか?」
私は「食べ難いですよ」って言いかけたが止めといた。
三浦大根のタクアンです。
市営地下鉄の神奈川新聞ニュースにも収穫の記事が貼ってあったね。でも現在は作付量が減り、出荷、流通は冬季に備えてのみです。




この三浦大根のタクアンは年内最後に行った時にテイクアウトしたんだが、冷蔵庫ん中でかなりキョーレツな香を発散したのにジャン妻が閉口した。
「何これ??何のニオイ?」
「タクアンだよ。鳥佳のテイクアウト」
「これは他のと一緒に入れておけないワ。出しとくね」
「今夜の晩飯に出してよ」
「アナタはこういうのを摘むと飲みすぎるからダメ」
「そんなこと言ってたらタクアン消費しないでニオイがそのまんま残るだけじゃないか」





年内最後に行った日。激混みは必定である。
「1時間でいい?」(Mさん)
「充分でさ。サッとあがりますよ」



つくね鍋です。
昨今、ひとり鍋の店が増えた。吉野家もそう。それに倣ったのだろうか。
マスターが焼いた銀杏を添えてくれた。
この鍋、いいんだけどイマイチ薄味だな~。藤沢のSYOWみたいにもうちょっと飛び抜けたアクセントが欲しいな。生姜とか。柚子胡椒とか。


「半ご飯ちょーだい」
私が何を企んでるかマスターはすぐにわかったらしい。玉子を出してくれた。
「よくわかりましたね」
「
![[わーい(嬉しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/140.gif)
雑炊が完成したぞ。


同じ味なので飽きてきたら醤油を少しだけタラリ。
雑炊が最後の一杯になった時に、
「約束1時間だからあと15分くらいだよね」
「うん、まだ大丈夫よ」
急いで煮込みをオーダー。だが煮込み&サラダ&スープ担当、時々焼き方も担当、私が”ダル”と呼んでいる若いモンが体調悪そう。
「風邪?」
「ハイ・・・」
デカい図体して今にも倒れそう。この卵雑炊喰えば風邪くらい治るかも。


どうも視線を感じる。
自意識過剰かも知れないが、錫のチロリ、カサゴのアタマ焼、狭い店だけに周囲に見られてるように感じる。
煮込みを半ご飯にブッかけた時もじーっと見られた。
アジタタキを半ご飯にブッかけた時もじーっと見られた。
鯵一夜干しを中骨、尻尾、アタマ、ヒレ、残さず平らげた時は驚嘆された。ネコすら喰う場所ないって。
今日は半ご飯に生玉子、何をやらかそうとするのかなこのオヤジは?という視線を感じる。
でも雑炊くらい誰だってやるだろうよ。固形燃料が案外と長持ちするので、雑炊でもうどんでもセットにすればいいのさ。
「他にもこういうことするお客さんっているでしょ?」
「いや~、初めて見ました~」(Mさん)



「まさか年越しは群馬じゃないですよね?」
「こっちですよ。昨日、群馬に行ってきたばっかだけど」
「お忙しいんですね?」
「いやヒマですよ。好きで行ってるだけ」
「
![[わーい(嬉しい顔)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/140.gif)
そろそろ約束の定刻1時間が迫った。予約のひとり客が幾人か暖簾を潜って入ってくる。
私も定量の熱燗三合(実際、入ってるのはそれ以上。。。)でちょうどいい酔い加減である。
私は参謀格のMさんに頷いて席を立ち、目でお会計をお願いした。



来年はそろそろ落ち着いたであろう4号店に行くつもりです。
そこは今しがたまでいた居心地いい本店、薄暗い2号店、深海魚のような3号店と違って、カジュアルで若者向けな雰囲気らしい。


4号店には群馬泉はないだろうけど。
2013年のこの店通いが終わった。


2013-12-30 10:21
コメント(2)
2013年上州酒場最終彷徨記 [居酒屋]

(混んでやがるな・・・)
道の向かい側から店を覗いたらカウンターが殆ど埋まっていたのが見えた。
(仕方がない。しばらく間を置こうか。それとも先にNANAに行くか。。。)
でもNANAは私の中では酒BARという位置づけなので、一旦、ドーミインの部屋に戻り、会社携帯で業務指示メールを幾つか配信し、30分ほど合間を置いて再訪したら空いていて、威勢のいい声で迎えられた。
お座敷、小上がりは貸切られ、カウンター7席のうち3席に先客がいて、私は端の席、厨房側に斜め横座りのような行儀悪い恰好で陣取る。
いきなり大将がボヤくには、
「いやぁ参りました。今日は刺身がもう無くて・・・キンメも・・・」
「刺身はけちゃったんだ。全滅ですか?」
「・・・海が荒れてるのもあるんですが、去年の今頃の統計見たらクリスマスってそんなにお客さん来なかったんですよ。そしたら今日、最初のご予約は2名様二組だけだったんですが、それ以外のお客様やカウンターが立て込んで・・・」
そうかぁ刺身が無いかぁ。上州最後の酒場立ち寄り日の今宵なのに残念。。。



混んでるぞ。
大将のサポートはしっかり者のBさんだけ。天然でおっちょこちょいのBさんはいない。この混み具合だと3人必要じゃないか?と思わせる盛況ぶりだった。
「事前に予約が入ってればAさんも呼んだんですがねぇ」(Bさん)
「まさか混んだから今から来いとも言えないですしね。あるモノでいいですよ。角煮は?」
「ございます」
「西京焼は?」
「そういうものなら大丈夫です」
この時点で刺身は一旦は諦めた。


大将の声が厨房に飛ぶ。
「角煮見といてくれ」
「魚、見といてくれ」
「生お代わり!!」
「熱燗!!」
大将の声がいつになくデカい。声を大にすることで疲れを吹っ切り、自分を奮い立たせ得るようでもある。
刺身がないから今日は醤油小皿の出番はないかな。無念の思いを噛み締める私。。。
そしたらお座敷に出す(コース料理か。。。)フグ刺の準備を始めた大将。
(ふぐぅ???)
私は河豚は喰わない。舌が野蛮で味がワカラン。ポン酢で食すのもイマイチ合わない。
思い切って言ってみた。
「マスター、こう言っちゃぁ何ですが、余りモノでいいですよ」
「そうですか・・・じゃぁこれ、一口食べてみてください。これてヨロシければ・・・」
渡された小皿には一切れのブ厚い白身の刺身が入ってた。それは何とかカレイの刺身で、一切れの刺身に直接醤油をちょっとだけまぶして口に運んだ。
「イケますよ」
「じゃぁ適当に見繕いますね」
どうも刺身の在庫がゼロではなく、大将が自信を持っておススメできるネタが無くなったということらしい。
ひとり用の皿に盛ってあるネタは、カレイ、しめ鯖、イカ、ウニ、ホタテ。。。




ようやくにして最初に出された小皿に醤油が入ったぞ。
(美味い。。。)
残ったモノ・・・といっては失礼かも知れないが、そん中から大将が選りすぐってくれたのがウレシイではないの。
「スミマセンこんなものしかなくて・・・」
こんなものどころか美味しいではないの。大将に感謝した。



大将はお座敷客のコース、河豚刺を削ぎ切りにしている。右手に刺身包丁を持ち、フグの身を抑えている左手に薄い透明のビニール手袋をしていた。親指に絆創膏が貼ってある。
「怪我?」
よくぞ訊いてくれたとばかりに、
「そうなんですよ。こっちが刺身を切ってる時に天然が(Aさんのこと)、鍋に入れるえのきはどれくらいの長さに切ったらいいかだの、長ネギはどれくらいの長さに切ったらいいだのって話しかけるモンだからさ。それくらい自分で考えてやればいいのにそっちに気を取られてやっちゃったんですよ。でも同じ場所にこれで切ったの4回めなんですよ。前はそんなことなかった。こっちはもう2人の介護が必要だからさぁ。。。」
お会計時に固まった。仮に4500円だとして10000円と500円を渡したら、5000円と1000円と500円が返って来たのである。
「???」
「あら???」、しっかり者のBさんは噴出した。
「それじゃぁAさんのノリだよ」
「笑」


(またこんなお通しを出してからに。。。)
胡麻豆腐だった。嫌いじゃないですよ。困ったのは箸で摘まむとトロトロに崩れてしまうのである。
醤油小皿は別に出されている。そこまで運ぶことすらできないのだ。めんどうくさくなったので、小皿の醤油を直接豆腐にブッかけ、器を口に運んでズルズルっとすすりましたよ。
日本酒だからいいものをさ。これがビールだったら何考えてんだいって。さすがに言いましたよ。「マスター、これって喰い難いなぁ」
「た、食べ難いですか??」
「柔らかくってさぁ」
「そうっスかね」


カワハギの肝和えを指しながら、「これまだある?」
「ありますよ」
「じゃぁ北寄貝と一緒に盛ってください」
今シーズン初めての肝和えです。チエさんが見たら垂涎だろうなって思った。






2013年の上州出張&酒場彷徨いが終わろうとしている。
でもまだ酔い具合は大丈夫。約束通りうさ子のCafeへ。
その途中、駿河大納言卿の眠る寺の前を歩く、その前に移転前のくいものや跡地がある。。。


途中、尺八の店の前を通ったら、店内から大声が聞こえたが、まさかまた。。。(^^;






「せっかくのクリスマスなんで、チキン召し上がってくださいね」
チキン???
薩摩芋に見えた。
うさ子は赤いカーディガン羽織って毛糸の帽子を被っていた。子供みたいなカッコだが、確か今年で3○歳になるハズ。
ジャン妻が言っていた。「早くいい人見つけなよ」って。
私はたしなめた。「ほっとけ、うさ子は好きでこの店を営っているんだよ、生活時間が夜型だし、そうそう合う人なんているモンか、そうなったら店を閉じなきゃなんないし、ファンが悲しむ」って。
うさ子は会社勤務が全く性に合わずすぐさま辞めて飲食業界に飛び込んだそうです。今でも伝票の整理や確定申告が超苦手、この店とお客さんが大好きなのだ。


これで2013年の上州酒場彷徨記はおしまい。来年度のことを考えると少し気が滅入るが、気を取り直して新年を迎えましょう。
2013-12-29 11:18
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うさ子のCafe [Cafe]
週末だから混んでるかなと思ったのでうさ子のCafeに電話した。
「○○だけど、今から2名、空いてる???」
「大丈夫ですよ。あれ?○○さん?こんばんはぁ」
「ようわかったね」
「すぐにわかりましたぁ」
行ったらガラガラだった。

「今日は何処かへ行かれてたんですかぁ?」
「くいものや・・・」
「リョウさんトコ行かれたんですかぁ」
「あそこは何喰っても美味いから。でも珍しく激混みだったよ」
「ですよねぇ。あれ?奥さま痩せましたねぇ。。。(笑)」
「そう??(笑)。。。」
そう言われて嬉しそうなジャン妻。
「そうかぁ??」と俺。。。
「こっちにいて6kg太ったからね。もとに戻ったのよ」(ジャン妻)
「美味いモンばっか喰ってたからな。ええっと、カレースパ・・・」
「まだ食べるの!!あれだけ食べたのに!!」
「足りない。だって店が混んでてパスタ系を喰えなかったからさ・・・」


「ロックと・・・ナッツ少しくれ」って言ったらジャン妻は目を剥いた。そんな塩気のあるモノをこの時間帯に喰うなといういつもの表情である。
うさ子もニヤニヤしながら、「食べさせていいんですか?」
「少しよ。少しにしてちょーだいっ。どーせこの人が全部摘まむんだからっ」


「お店、水曜日が定休日なんですけど、今年はクリスマスが水曜なんですよねぇ。クリスマス、営業しようかなぁ。。。」
「すればぁ。こういう店はした方がいい」と私。。。
「するっきゃないでしょ」とジャン妻。。。
どうせひとりでクリスマスするよりお客さんと過ごした方が気が紛れるだろって言いかけたけど止めた。






余談ですが。。。
この街は芸術の街とも謳ってる。
シンフォニー通りとか、芸術に因んだ通り名もある。音楽に関しては群馬交響楽団が発祥になってるんだと思いますが、クラシック以外にも若者たちの路上ライブが多い。
夏場はともかく、冬場なんかよく寒くないな~と思うのだが、音楽以外でも、美術、陶芸、映画祭とかも多い。それらの個展や発表に関するパンフやチケットがカウンターに並べられている。
昨年、うさ子にこう言われた。
「昨夜、うるさくなかったですかぁ??」
「うるさく・・・???昨夜何かあったか???」
「お店で即興でライブ演ったんですよ。うるさかったら言ってくださいねぇ」
「いやぁ、こっちには聞こえなかったけど・・・」
ライブったってアコースティックのライブでしょう。エレクトリックサウンドだったらさすがにご近所にヒンシュクだろうし。
うるさかったら言ってくださいねの意は・・・もう時効だからいいだろうけど、実は私らはこのCafeすぐ近くのマンションに住んでいたんです。朝にゴミ出ししたらうさ子もゴミ出しにピョンピョン出て来てバッタリ会ったりもした。神奈川に引き上げる時は最後に残った瓶ゴミを引きうけてくれたし。。。毎朝毎晩、このCafeの前の道を歩いてたの。
すぐ近くに、くいものや、味一味、尺八の○郎さん、GETU。。。、焼き鳥結、少し歩いたら○潮、NANAがあって、それでいて人がいないという静かな環境だった。東京神奈川と違って、事務所帰りにそこらで飲んでも徒歩数分で家で寝れる環境だったんです。
祭りの日には山車や花火が見えたしね。こんないい街って他にあるかって思ったモン。
部屋から近いだけに一度、家から黒い作務衣で出かけようとしてジャン妻に制止されたことがある。
「止めてっ!!」
「・・・」
「あの店のお客さんは若いんだし、そんなカッコで行ったら場違いだし、ヘンにみられるっ!!」
着替えて行きました。

この街は年間を通じてイベントが多彩で、様々な祭、商業イベント、音楽や伝統文化を発信している。
でも人手は多いとはいえない。大都会と比べちゃいけないですよ。でも調べてみたらイベント数が約90件あって、開催延べ日数は130日以上、特に週末、何処かしらでイベントが行われている。
大きいものでは・・・例えば公に開催される音楽祭があって、そこから枝分かれした個人が街頭で、ショップで、単独ソロでミニライブが開催される。くいものやRのジャズライブもそう。
ここ市内だけでなく、前橋市他の街でも開催され、そこでも頑張っている。
失礼な言い方で申し訳ないが、経験者の私が聴いて「ヘタだな」って思うヤツもいるし、すぐにはプロデビュー、増収にはつながらないし、所詮はアマチュア、セミプロの域だし、若いモンのドリームだけで終わってしまうかも知れない。でもそういう場を提供する、そういう場があるってことはスゴく素晴らしいことだと思うのだ。
若い演奏家が路上で演った後でうさぎCafeに立ち寄って勢いで即興ライブになる時もある。うさ子のCafeは市の若手文化のアンテナショップでもある。
うさ子もそうだが、若くして独立、一国一城の主になった店主たちも多い。NANA、おちょこ、幸盛、KAMIKARI、クルカフェ、屋台村の人たち。。。
それはこの街で飲食店の雇用が少ないからかも知れないが、シャッター商店が多いってことは格安の物件も少なくないのだろう。







うさ子はクリスマスに営る気になったみたい。
「クリスマス、良かったお出でくださぁい」
その日は出張でこの街に来るには来るけど。「まぁ顔だけ出すワ。。。」
「お待ちしていますぅ」
実際、25日に顔を出したのだが、それは明日。。。
「○○だけど、今から2名、空いてる???」
「大丈夫ですよ。あれ?○○さん?こんばんはぁ」
「ようわかったね」
「すぐにわかりましたぁ」
行ったらガラガラだった。

「今日は何処かへ行かれてたんですかぁ?」
「くいものや・・・」
「リョウさんトコ行かれたんですかぁ」
「あそこは何喰っても美味いから。でも珍しく激混みだったよ」
「ですよねぇ。あれ?奥さま痩せましたねぇ。。。(笑)」
「そう??(笑)。。。」
そう言われて嬉しそうなジャン妻。
「そうかぁ??」と俺。。。
「こっちにいて6kg太ったからね。もとに戻ったのよ」(ジャン妻)
「美味いモンばっか喰ってたからな。ええっと、カレースパ・・・」
「まだ食べるの!!あれだけ食べたのに!!」
「足りない。だって店が混んでてパスタ系を喰えなかったからさ・・・」


「ロックと・・・ナッツ少しくれ」って言ったらジャン妻は目を剥いた。そんな塩気のあるモノをこの時間帯に喰うなといういつもの表情である。
うさ子もニヤニヤしながら、「食べさせていいんですか?」
「少しよ。少しにしてちょーだいっ。どーせこの人が全部摘まむんだからっ」


「お店、水曜日が定休日なんですけど、今年はクリスマスが水曜なんですよねぇ。クリスマス、営業しようかなぁ。。。」
「すればぁ。こういう店はした方がいい」と私。。。
「するっきゃないでしょ」とジャン妻。。。
どうせひとりでクリスマスするよりお客さんと過ごした方が気が紛れるだろって言いかけたけど止めた。






余談ですが。。。
この街は芸術の街とも謳ってる。
シンフォニー通りとか、芸術に因んだ通り名もある。音楽に関しては群馬交響楽団が発祥になってるんだと思いますが、クラシック以外にも若者たちの路上ライブが多い。
夏場はともかく、冬場なんかよく寒くないな~と思うのだが、音楽以外でも、美術、陶芸、映画祭とかも多い。それらの個展や発表に関するパンフやチケットがカウンターに並べられている。
昨年、うさ子にこう言われた。
「昨夜、うるさくなかったですかぁ??」
「うるさく・・・???昨夜何かあったか???」
「お店で即興でライブ演ったんですよ。うるさかったら言ってくださいねぇ」
「いやぁ、こっちには聞こえなかったけど・・・」
ライブったってアコースティックのライブでしょう。エレクトリックサウンドだったらさすがにご近所にヒンシュクだろうし。
うるさかったら言ってくださいねの意は・・・もう時効だからいいだろうけど、実は私らはこのCafeすぐ近くのマンションに住んでいたんです。朝にゴミ出ししたらうさ子もゴミ出しにピョンピョン出て来てバッタリ会ったりもした。神奈川に引き上げる時は最後に残った瓶ゴミを引きうけてくれたし。。。毎朝毎晩、このCafeの前の道を歩いてたの。
すぐ近くに、くいものや、味一味、尺八の○郎さん、GETU。。。、焼き鳥結、少し歩いたら○潮、NANAがあって、それでいて人がいないという静かな環境だった。東京神奈川と違って、事務所帰りにそこらで飲んでも徒歩数分で家で寝れる環境だったんです。
祭りの日には山車や花火が見えたしね。こんないい街って他にあるかって思ったモン。
部屋から近いだけに一度、家から黒い作務衣で出かけようとしてジャン妻に制止されたことがある。
「止めてっ!!」
「・・・」
「あの店のお客さんは若いんだし、そんなカッコで行ったら場違いだし、ヘンにみられるっ!!」
着替えて行きました。

この街は年間を通じてイベントが多彩で、様々な祭、商業イベント、音楽や伝統文化を発信している。
でも人手は多いとはいえない。大都会と比べちゃいけないですよ。でも調べてみたらイベント数が約90件あって、開催延べ日数は130日以上、特に週末、何処かしらでイベントが行われている。
大きいものでは・・・例えば公に開催される音楽祭があって、そこから枝分かれした個人が街頭で、ショップで、単独ソロでミニライブが開催される。くいものやRのジャズライブもそう。
ここ市内だけでなく、前橋市他の街でも開催され、そこでも頑張っている。
失礼な言い方で申し訳ないが、経験者の私が聴いて「ヘタだな」って思うヤツもいるし、すぐにはプロデビュー、増収にはつながらないし、所詮はアマチュア、セミプロの域だし、若いモンのドリームだけで終わってしまうかも知れない。でもそういう場を提供する、そういう場があるってことはスゴく素晴らしいことだと思うのだ。
若い演奏家が路上で演った後でうさぎCafeに立ち寄って勢いで即興ライブになる時もある。うさ子のCafeは市の若手文化のアンテナショップでもある。
うさ子もそうだが、若くして独立、一国一城の主になった店主たちも多い。NANA、おちょこ、幸盛、KAMIKARI、クルカフェ、屋台村の人たち。。。
それはこの街で飲食店の雇用が少ないからかも知れないが、シャッター商店が多いってことは格安の物件も少なくないのだろう。







うさ子はクリスマスに営る気になったみたい。
「クリスマス、良かったお出でくださぁい」
その日は出張でこの街に来るには来るけど。「まぁ顔だけ出すワ。。。」
「お待ちしていますぅ」
実際、25日に顔を出したのだが、それは明日。。。
2013-12-28 09:13
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くいものやR [グルメ]
くいもの屋は混んでいた。
7時過ぎに2名入れますか?って電話したら奥様が出て、「大丈夫ですよ~」とは言ってくれたが、奥様がいる時はお店が混むか、グループ客の小宴会が入っているのだ。
しかも今日は金曜日である。普段はそれほど混まない店だが、さすがに(失礼)今日ぐらいは混んでるだろう。ドアを開けたら私らがついぞ見たことがないくらいに混んでいた。

私らはL型カウンターが折れる辺りの予約席で、L字カウンターの端と端に2人客×2組。
私らの後ろにはサラリーマン客が8人いた。忘年会かな。
そしてピアノが置いてあるフロアにも女性客のグループが4人来たので、超満員ではないが、いつもガラガラのこの店にしては満員、激混みといっていい。
「へぇ、珍しいこともあるもんだ」
「まぁ金曜だし、忘年会シーズンだから。こういう時に混まないと・・・」
私らがこの街に住んでた時、この店には月に数回通ったがいつ来てもガラッガラだった。これで営っていけるのかなぁって思ってたモン。
冬場なんか経費節減なのか、誰も客がいないと店の入り口の照明は点けていてもフロアや厨房の照明をやや暗くして暖房も切ってる時があった。マスターが寒そうに震えていて、気恥ずかしそうに店内の灯を点け、「今、暖房入れますから」って言われたことが数回ある。そこまでしなくても。。。
店では月に一度JUZZ LIVEが開催されるが、それだって演奏する側が4人か5人、総客数は30人も入れば一杯になってしまうし。今夜の混みようは何だ???

マスターは料理に獅子奮迅、大車輪の活躍ぶりである。串カツ、ピザが複数枚焼かれている。蛎のオーブン焼、各種サラダ、そして私のステーキ・・・
ピザはオーブンだけでは足りず、フライパンで直火で焼いたりもしていた。
サラダやドリンクは奥さんがサポートしている。
実は私、10月に一度だけひとりで来ている。
外に出ているメニューを見たら、あんかけ焼きそば、サーロインステーキとあったので、フラッと入ったの。





この時はガラガラで私以外は誰もいなかった。
サーロインステーキに惹かれたが、実はこの日の昼に安中市の104でリブロースステーキをガツガツ喰らっている。さすがに昼夜連続ステーキという愚かしい暴挙は避けたのだが、「いつか近日、ステーキを喰らってやる」って心中期するものがあったの。
あんかけ焼きそばは・・・やはり本格的な中華屋さんには及ばないけど、それでもまぁまぁ美味しいかったですよ。(^^;


やはりステーキだな。そして今夜、ジャン妻と来たというワケです。


絶品のポテサラ。
私の中ではナンバーワンです。

下仁田ネギのフライ。。。
これで250円ですよ。下仁田ネギは天ぷらかフライがいいですね。

来ました来ました。サーロインステーキ。
脂は少なめだけど美味しい。
付け合せのジャガイモは外側カリッ、中がフンワリ。



ジャン妻は白ワインへ移行。
「あまり飲み過ぎるなよ。この後でうさぎへ行くんだから」
「ああ、そうだったね」
ジャン妻はワインを飲むとアブなくなるんです。

ようやくにして店内が落ち着き、マスターがジャン妻に、「お久しぶりです。お元気そうで・・・」
「マスターもお元気そうで。お店も混んでて・・・・」
「この店がこんなに混んでるのは初めて見た」って言ってしまった。

奥様に見送られて出た。
「今日のマスターはカッコよかった。忙しい時のマスターはカッコいいよ」って言いました。
そしてうさぎの店へ。。。
7時過ぎに2名入れますか?って電話したら奥様が出て、「大丈夫ですよ~」とは言ってくれたが、奥様がいる時はお店が混むか、グループ客の小宴会が入っているのだ。
しかも今日は金曜日である。普段はそれほど混まない店だが、さすがに(失礼)今日ぐらいは混んでるだろう。ドアを開けたら私らがついぞ見たことがないくらいに混んでいた。

私らはL型カウンターが折れる辺りの予約席で、L字カウンターの端と端に2人客×2組。
私らの後ろにはサラリーマン客が8人いた。忘年会かな。
そしてピアノが置いてあるフロアにも女性客のグループが4人来たので、超満員ではないが、いつもガラガラのこの店にしては満員、激混みといっていい。
「へぇ、珍しいこともあるもんだ」
「まぁ金曜だし、忘年会シーズンだから。こういう時に混まないと・・・」
私らがこの街に住んでた時、この店には月に数回通ったがいつ来てもガラッガラだった。これで営っていけるのかなぁって思ってたモン。
冬場なんか経費節減なのか、誰も客がいないと店の入り口の照明は点けていてもフロアや厨房の照明をやや暗くして暖房も切ってる時があった。マスターが寒そうに震えていて、気恥ずかしそうに店内の灯を点け、「今、暖房入れますから」って言われたことが数回ある。そこまでしなくても。。。
店では月に一度JUZZ LIVEが開催されるが、それだって演奏する側が4人か5人、総客数は30人も入れば一杯になってしまうし。今夜の混みようは何だ???

マスターは料理に獅子奮迅、大車輪の活躍ぶりである。串カツ、ピザが複数枚焼かれている。蛎のオーブン焼、各種サラダ、そして私のステーキ・・・
ピザはオーブンだけでは足りず、フライパンで直火で焼いたりもしていた。
サラダやドリンクは奥さんがサポートしている。
実は私、10月に一度だけひとりで来ている。
外に出ているメニューを見たら、あんかけ焼きそば、サーロインステーキとあったので、フラッと入ったの。





この時はガラガラで私以外は誰もいなかった。
サーロインステーキに惹かれたが、実はこの日の昼に安中市の104でリブロースステーキをガツガツ喰らっている。さすがに昼夜連続ステーキという愚かしい暴挙は避けたのだが、「いつか近日、ステーキを喰らってやる」って心中期するものがあったの。
あんかけ焼きそばは・・・やはり本格的な中華屋さんには及ばないけど、それでもまぁまぁ美味しいかったですよ。(^^;


やはりステーキだな。そして今夜、ジャン妻と来たというワケです。


絶品のポテサラ。
私の中ではナンバーワンです。

下仁田ネギのフライ。。。
これで250円ですよ。下仁田ネギは天ぷらかフライがいいですね。

来ました来ました。サーロインステーキ。
脂は少なめだけど美味しい。
付け合せのジャガイモは外側カリッ、中がフンワリ。



ジャン妻は白ワインへ移行。
「あまり飲み過ぎるなよ。この後でうさぎへ行くんだから」
「ああ、そうだったね」
ジャン妻はワインを飲むとアブなくなるんです。

ようやくにして店内が落ち着き、マスターがジャン妻に、「お久しぶりです。お元気そうで・・・」
「マスターもお元気そうで。お店も混んでて・・・・」
「この店がこんなに混んでるのは初めて見た」って言ってしまった。

奥様に見送られて出た。
「今日のマスターはカッコよかった。忙しい時のマスターはカッコいいよ」って言いました。
そしてうさぎの店へ。。。
2013-12-27 07:18
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梅ふく [居酒屋]
平日に早く帰宅して20時ぐらいに家メシを喰らっている時は民放のバラエティ番組を避けてNHKを観ます。
するとニュースや天気予報の前の番組で歌謡チャリティーコンサートみたいなのに出っくわす時がある。そこで謳われる歌は殆どが演歌。。。
こっちはビールから日本酒に移行してるので、そのシチュエーションを例えると、
「まるで梅ふくだね」
「梅ふくぅ?」
「あの店って演歌番組ばっか・・・」
そう、梅ふくでは歌謡曲や演歌番組が流れている時が多い。私は「まるで梅ふく・・・」・・・この意味を、あの店はママでもってる、ウチもアタシ(ジャン妻)でもってるという意味かと思ったよ。
「マスターが(ジャン妻に)会いたがってたよ・・・」
「・・・」

月いちの定例会議終了は21時なので、その頃になるともうマスター(モーちゃん)は出来上がってる。21時半頃には暖簾を入れちゃってる時もあるし、無理に行っても酔っ払ってるから腹にたまる料理は期待できないので、今年はあまり足を向けなかった。
この日は突発的な出張で、業務が終了したのは18時半、早い時間帯に暖簾を潜ってもいいんだけど、シラフのマスターはイマイチオモシろくないので、先にGETU。。。に寄り、そろそろホロ酔いだろうな~店も空いて来ただろうな~の頃合いを見計らって20時半過ぎに暖簾を潜ったら、案の定マスター、モーちゃんは完全に出来上がっていましたね。
「ゴメン、今日はもう酔っぱらっちゃって・・・」
「今日は・・・じゃなくて、今日も・・・でしょ」
「そうとも言うね。まっそんな隅っこにいないで俺ん前に座って座って・・・」
こっちはここに来る前に、GETU。。。で軽く入れて来たので腹はそれほど空いてない。銀盤の熱燗をチビリチビリと口に運んだ。
店内、歌謡番組が流れていた。

そしたらマスターが私の鼻先にヌッと自分のお猪口を付き出す。「俺ん前に座って」ってのは自分が飲みたいからだな。私はママの表情を見てから注いであげる。一応は「飲ませてもヨロシイでしょうか?」というお伺いを立てるワケ。
マスター、グビリ。。。


よく飲むなぁ。。。
毎晩これで身体、大丈夫なんだろうか心配になったりする。そしたら冷蔵庫に貼り紙があって、
「誠に勝手ながら、来年より日曜日月曜日祝祭日を休ませて頂きます。尚あと10年間はお客様とお付き合いさせて頂きたく宜しくお願い致します。亭主敬白」とあった。
「来年から月曜休むことにしたから・・・」
月曜はお客が少ないのかな?
「何でまた月曜をお休みすることに決めたの?」
「連休したくなってさ。連休すると月曜日に飲みに行けるから・・・」
それは無理だろう。。。
「新橋で飲みたいんだよね」
それは更に無理だろう。。。帰って来なきゃなんないし。。。
「新橋ぃ?何故に新橋なんです?」
「オヤジの街だから。いい店あるんでしょ?」
「そりゃぁあるけどピンキリですよ。でも月曜に新橋で飲んでその日のウチに戻るってのは・・・」
ママが手を横に振りながら、口は「無理無理」と言っている。


「東京は今は女の子の一人酒も多いんだってね」
この街でも一人酒が好きな若い女性をひとり知っているけど。
「そうそう。女性はひとりでフラッと入っても安心な店が増えてるの」
「それって立呑屋?」
「それもあります。でも立呑屋ってある程度のマナーが必要かもですよ。立ってられなくなるくらいに酔えないんだからさ。マスターは無理」
「それって酒場放浪記の影響?」
俺の話を聞いてないな。。。
「それもあるかも・・・」
でも吉田類さんがこの店に来るだろうか。来てもマスターのこの酔態は放映できないだろうし、地元の常連さんが放映を嫌がるだろうな。




.jpg)
ふと見たら、座敷がブッ散らかってる。
「今日宴会だったの?」
「ス、スミマセン、片付が済んでないだけです」
いや、さような意味では。。。でもすぐに片付けないのは、もうこの時間帯になると誰も来ないからって思ってるフシがあるね。マスターもこんな体たらくだしね。


マスターはいつの間にか私の隣に座ってクダをまいている。
「何で月曜休むかってさ、もう10年仕事して・・・酒のんで・・・奥さん大事にして・・・」
ロレツがアヤしさを超えてアブなくなってきた。

「お客さんからしたら何でこんな酔っ払いの店に来るんだって・・・でも知ったカオのお客さんがまた来てくれるのがホント凄くウレシイの・・・」
そりゃそうでしょう。絶対この店は客に助けられてる。笑
「あと10年、かーちゃんの為に頑張るの」
っていうか、この店はママで持ってるんだよ。笑

この店で揚げ物や焼き物や刺身はいいトコ20時までが限界で、それ以降だと、おでん、ポテサラ(マカロニサラダ)カウンター上に載ってる大皿の惣菜しか対応できないといっていい。
店主がこう飲んじゃっていいものかと最初は思ったりしたが、早い時間帯にシラフに行ったらツマンナくもある。まぁこういうスタイルの店、許せるお客が通う店だと思って許してあげてください。シラフの時の料理レベルはかなり高いですよ。

別れる時、マスターのハグ攻撃にも注意。
するとニュースや天気予報の前の番組で歌謡チャリティーコンサートみたいなのに出っくわす時がある。そこで謳われる歌は殆どが演歌。。。
こっちはビールから日本酒に移行してるので、そのシチュエーションを例えると、
「まるで梅ふくだね」
「梅ふくぅ?」
「あの店って演歌番組ばっか・・・」
そう、梅ふくでは歌謡曲や演歌番組が流れている時が多い。私は「まるで梅ふく・・・」・・・この意味を、あの店はママでもってる、ウチもアタシ(ジャン妻)でもってるという意味かと思ったよ。
「マスターが(ジャン妻に)会いたがってたよ・・・」
「・・・」

月いちの定例会議終了は21時なので、その頃になるともうマスター(モーちゃん)は出来上がってる。21時半頃には暖簾を入れちゃってる時もあるし、無理に行っても酔っ払ってるから腹にたまる料理は期待できないので、今年はあまり足を向けなかった。
この日は突発的な出張で、業務が終了したのは18時半、早い時間帯に暖簾を潜ってもいいんだけど、シラフのマスターはイマイチオモシろくないので、先にGETU。。。に寄り、そろそろホロ酔いだろうな~店も空いて来ただろうな~の頃合いを見計らって20時半過ぎに暖簾を潜ったら、案の定マスター、モーちゃんは完全に出来上がっていましたね。
「ゴメン、今日はもう酔っぱらっちゃって・・・」
「今日は・・・じゃなくて、今日も・・・でしょ」
「そうとも言うね。まっそんな隅っこにいないで俺ん前に座って座って・・・」
こっちはここに来る前に、GETU。。。で軽く入れて来たので腹はそれほど空いてない。銀盤の熱燗をチビリチビリと口に運んだ。
店内、歌謡番組が流れていた。

そしたらマスターが私の鼻先にヌッと自分のお猪口を付き出す。「俺ん前に座って」ってのは自分が飲みたいからだな。私はママの表情を見てから注いであげる。一応は「飲ませてもヨロシイでしょうか?」というお伺いを立てるワケ。
マスター、グビリ。。。


よく飲むなぁ。。。
毎晩これで身体、大丈夫なんだろうか心配になったりする。そしたら冷蔵庫に貼り紙があって、
「誠に勝手ながら、来年より日曜日月曜日祝祭日を休ませて頂きます。尚あと10年間はお客様とお付き合いさせて頂きたく宜しくお願い致します。亭主敬白」とあった。
「来年から月曜休むことにしたから・・・」
月曜はお客が少ないのかな?
「何でまた月曜をお休みすることに決めたの?」
「連休したくなってさ。連休すると月曜日に飲みに行けるから・・・」
それは無理だろう。。。
「新橋で飲みたいんだよね」
それは更に無理だろう。。。帰って来なきゃなんないし。。。
「新橋ぃ?何故に新橋なんです?」
「オヤジの街だから。いい店あるんでしょ?」
「そりゃぁあるけどピンキリですよ。でも月曜に新橋で飲んでその日のウチに戻るってのは・・・」
ママが手を横に振りながら、口は「無理無理」と言っている。


「東京は今は女の子の一人酒も多いんだってね」
この街でも一人酒が好きな若い女性をひとり知っているけど。
「そうそう。女性はひとりでフラッと入っても安心な店が増えてるの」
「それって立呑屋?」
「それもあります。でも立呑屋ってある程度のマナーが必要かもですよ。立ってられなくなるくらいに酔えないんだからさ。マスターは無理」
「それって酒場放浪記の影響?」
俺の話を聞いてないな。。。
「それもあるかも・・・」
でも吉田類さんがこの店に来るだろうか。来てもマスターのこの酔態は放映できないだろうし、地元の常連さんが放映を嫌がるだろうな。




.jpg)
ふと見たら、座敷がブッ散らかってる。
「今日宴会だったの?」
「ス、スミマセン、片付が済んでないだけです」
いや、さような意味では。。。でもすぐに片付けないのは、もうこの時間帯になると誰も来ないからって思ってるフシがあるね。マスターもこんな体たらくだしね。


マスターはいつの間にか私の隣に座ってクダをまいている。
「何で月曜休むかってさ、もう10年仕事して・・・酒のんで・・・奥さん大事にして・・・」
ロレツがアヤしさを超えてアブなくなってきた。

「お客さんからしたら何でこんな酔っ払いの店に来るんだって・・・でも知ったカオのお客さんがまた来てくれるのがホント凄くウレシイの・・・」
そりゃそうでしょう。絶対この店は客に助けられてる。笑
「あと10年、かーちゃんの為に頑張るの」
っていうか、この店はママで持ってるんだよ。笑

この店で揚げ物や焼き物や刺身はいいトコ20時までが限界で、それ以降だと、おでん、ポテサラ(マカロニサラダ)カウンター上に載ってる大皿の惣菜しか対応できないといっていい。
店主がこう飲んじゃっていいものかと最初は思ったりしたが、早い時間帯にシラフに行ったらツマンナくもある。まぁこういうスタイルの店、許せるお客が通う店だと思って許してあげてください。シラフの時の料理レベルはかなり高いですよ。

別れる時、マスターのハグ攻撃にも注意。
2013-12-26 08:11
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GETU。。。 [居酒屋]
今日から年末年始にかけて、年内にストックされて未アップの上州酒場他の記事が不定期で続きます。
10月末、群馬八幡の家庭居酒屋で貰ったホウレンソウをうさ子のCafeに届けた晩、ホテルへ戻る途中でGETU。。。の電飾ゴロ看を片付けてるママに出逢った。
「あら・・・」
「お久しぶりです」
「今日はおひとりですか?奥さんは・・・?」
「奥は内勤だから来れないですよ」
「まぁ残念・・・」
どうぞどうぞ少し飲んでってくださいと勧められたが、「もうお店閉めるんでしょ、また次回に・・・」と遠慮した。


そして12月になってからの雨の夜、19時過ぎに行った。
雨の晩の電飾ゴロ看板は公道には出されず、マンションの軒下に下げて置いてある。
ママが感電するからである。


「あら・・・」
「ご無沙汰です」
「今日はおひとりですか?奥さんは・・・?」
「アイツは経理で内勤だからそうそう来れないですよ」
「まぁ残念・・・」
前回と全く同じセリフ、会話だったが、そんなに奥(ジャン妻)に会いたいかね。俺ひとりでいいジャンと嫉妬してみる私。。。
雨のせいか店内空いてた。
カウンターで3人のオッさんがいた。50台後半から60台前半だろうか。職場の先輩後輩か、同僚兼友人らしい方々が豪快に飲んで快気炎を上げていた。
この店の客の年齢層は高めで、私なんか未だ若造の方だが、その先客3人さんに、「この方、この街が大好きな方なんですよ」って紹介された。
私は隅っこで静かに飲み始めた。

鯛の昆布締めです。
前かた気になってたんだが、この店、刺身のツマが不揃いなんです。形状も。断面も。でもツヤツヤして光っている。もしかして。。。???
「この大根のツマは手作りですよね?」
形や断面が不揃いでスーパーなんかで売ってるヤツ、形は揃ってもシンナリしてるツマとは大違いで、ひとつひとつのツマに歯応えがあって瑞々しい。
「そうなんです。私、大根のツマにはこだわりがあって、売ってるものは嫌なんです。忙しい時なんかチャッチャッチャツとやって形がバラバラですよ」
私は他所では残すけど、この店ではツマ残したことないんです。


「まだこの街に帰って来たいですか??
「うん。その気持ちをずーっと引きずってたね今年は」
「ここってどんな街ですか?誰かに説明する時・・・」
「う~ん・・・新幹線が止まるけど人があまり歩いてない街・・・かなぁ」
「それって素敵な街じゃないですか・・・笑」
「この街に住んでから、私は道端ですれ違って目が合えば会釈や挨拶するようになりましたよ。それってアタリマエの事かも知れないけど、東京横浜って人が物凄く多いからそこらでいちいち挨拶なんかしないしさ。してたらヘンに見られるし・・・」
「笑」

「おでんある?」
「ございますよ。タマゴとコンニャクと、チクワと・・・」
「がんもどきは?」
「ごめんなさい今日はガンモはないんです。明日作ろうと思ってるんですけど・・・」
ママが言うのは手作りガンモのことでおでんの具ではない肴です。
「じゃぁさつま揚げ・・・」
「ございます。カラシいっぱい要りますか?」
辛過ぎるのは苦手なので、「少なめで」
「少なめで。じゃぁたくさん入れちゃったので少しけずっちゃいますね・・・」
カラシを少なくしたのはいいけど、こっちはひとり客なのに何で取り皿を出すかなぁ。。。笑


先客3人さんが、「70になっても80になってもこの店で飲もうぜぇ」って快気炎を上げている。私は先に会計して出たのだが、自分たちが騒がしいからお会計をしたと勘違いされ、「これに懲りずにまた来てください」って言われた。
懲りずにまた来てくださいったって私はこの店の一見客じゃないぞぉ。こっちもやや意地になり、「私は昨年1年この街に住んでたんですよ・・・」って説明するハメになった。
ママは「もうお帰りですか~?」って言った後で、他へも廻るんですねって察したみたい。今宵の夜は一晩だけだが、廻りたい店は片手の指じゃ足りないので。。。

いつ来てもホッコリと。また来年ですね。
10月末、群馬八幡の家庭居酒屋で貰ったホウレンソウをうさ子のCafeに届けた晩、ホテルへ戻る途中でGETU。。。の電飾ゴロ看を片付けてるママに出逢った。
「あら・・・」
「お久しぶりです」
「今日はおひとりですか?奥さんは・・・?」
「奥は内勤だから来れないですよ」
「まぁ残念・・・」
どうぞどうぞ少し飲んでってくださいと勧められたが、「もうお店閉めるんでしょ、また次回に・・・」と遠慮した。


そして12月になってからの雨の夜、19時過ぎに行った。
雨の晩の電飾ゴロ看板は公道には出されず、マンションの軒下に下げて置いてある。
ママが感電するからである。


「あら・・・」
「ご無沙汰です」
「今日はおひとりですか?奥さんは・・・?」
「アイツは経理で内勤だからそうそう来れないですよ」
「まぁ残念・・・」
前回と全く同じセリフ、会話だったが、そんなに奥(ジャン妻)に会いたいかね。俺ひとりでいいジャンと嫉妬してみる私。。。
雨のせいか店内空いてた。
カウンターで3人のオッさんがいた。50台後半から60台前半だろうか。職場の先輩後輩か、同僚兼友人らしい方々が豪快に飲んで快気炎を上げていた。
この店の客の年齢層は高めで、私なんか未だ若造の方だが、その先客3人さんに、「この方、この街が大好きな方なんですよ」って紹介された。
私は隅っこで静かに飲み始めた。

鯛の昆布締めです。
前かた気になってたんだが、この店、刺身のツマが不揃いなんです。形状も。断面も。でもツヤツヤして光っている。もしかして。。。???
「この大根のツマは手作りですよね?」
形や断面が不揃いでスーパーなんかで売ってるヤツ、形は揃ってもシンナリしてるツマとは大違いで、ひとつひとつのツマに歯応えがあって瑞々しい。
「そうなんです。私、大根のツマにはこだわりがあって、売ってるものは嫌なんです。忙しい時なんかチャッチャッチャツとやって形がバラバラですよ」
私は他所では残すけど、この店ではツマ残したことないんです。


「まだこの街に帰って来たいですか??
「うん。その気持ちをずーっと引きずってたね今年は」
「ここってどんな街ですか?誰かに説明する時・・・」
「う~ん・・・新幹線が止まるけど人があまり歩いてない街・・・かなぁ」
「それって素敵な街じゃないですか・・・笑」
「この街に住んでから、私は道端ですれ違って目が合えば会釈や挨拶するようになりましたよ。それってアタリマエの事かも知れないけど、東京横浜って人が物凄く多いからそこらでいちいち挨拶なんかしないしさ。してたらヘンに見られるし・・・」
「笑」

「おでんある?」
「ございますよ。タマゴとコンニャクと、チクワと・・・」
「がんもどきは?」
「ごめんなさい今日はガンモはないんです。明日作ろうと思ってるんですけど・・・」
ママが言うのは手作りガンモのことでおでんの具ではない肴です。
「じゃぁさつま揚げ・・・」
「ございます。カラシいっぱい要りますか?」
辛過ぎるのは苦手なので、「少なめで」
「少なめで。じゃぁたくさん入れちゃったので少しけずっちゃいますね・・・」
カラシを少なくしたのはいいけど、こっちはひとり客なのに何で取り皿を出すかなぁ。。。笑


先客3人さんが、「70になっても80になってもこの店で飲もうぜぇ」って快気炎を上げている。私は先に会計して出たのだが、自分たちが騒がしいからお会計をしたと勘違いされ、「これに懲りずにまた来てください」って言われた。
懲りずにまた来てくださいったって私はこの店の一見客じゃないぞぉ。こっちもやや意地になり、「私は昨年1年この街に住んでたんですよ・・・」って説明するハメになった。
ママは「もうお帰りですか~?」って言った後で、他へも廻るんですねって察したみたい。今宵の夜は一晩だけだが、廻りたい店は片手の指じゃ足りないので。。。

いつ来てもホッコリと。また来年ですね。
2013-12-25 08:23
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PAGEANT OF STARLIGHT [コラム雑記帳]


去年も眺めた。
いつまでも消えないで欲しいと思って眺めた。消えたら上州を去る日にまた近づいてしまうからです。
でもその日は来てしまった。今年の春、大好きな上州を去って、月いちか二度の出張でこの街に下りたってはいますが。。。
今眺めて思うのは、あれからもう1年か、早いものだなと。。。


上州では冬の榛名湖畔を彩るイルミネーションが有名です。でも、「キレイだけど寒いですよぉ」ってCafeのオーナー、うさ子が言っていた。
私はちょっとそこまでは行けないなぁ。くるまでしか行けないし、路面も凍るし。
この街の光で私は充分である。


光の中を歩きながら脳裏に流れるのは、12月しか聴かない私の中での名曲
夢の中 恋人が 僕の名を呼ぶ
少し寂しそうな 眩しい笑顔
遠く離れた時も 寄り添う時も
君を思えばいつも ただ せつなくなる
窓の外 降り積もる 雪のように 静かに
愛してる 凍える夜も 陽ざしあふれる朝も
清らか心と 燃える瞳の
永遠の恋人に Merry Christmasu to you
http://www.youtube.com/watch?v=z4UVBSa76uo
これは別バージョン
http://www.youtube.com/watch?v=klVgF5wVUTg
そういえば、永遠に青年のような省吾さんももうすぐ60歳になるなぁ。
(12月29日です)



ジャン妻が言う。「ホントこういうの好きねぇ。そろそろ行かないと。。。」
さぁ、皆が待っている。聖なる酔っ払いオンナ他、大好きな仲間たちとの忘年会へ。。。



2013-12-24 07:21
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121ダイニング [グルメ]

中野駅北口にナカノマンハッタンと呼ばれる高層ビルがある。
それは地上21階建ての中野サンプラザ。コンサートホール、結婚式場、ホテル、宴会場、何処にあるのかわからないがテニスコート、プール、ボウリング場、ネットカフェ他の複合施設です。中野は新宿区内だが中心部からは離れているので、これだけそびえ立っている。
(私は日頃、ビル最上階やデパートとかの最上階のレストランって足が向かないです。そこまで上がるのが迂遠なの。)
私は中野というと、第二力酒蔵という酒場が有名だな~程度しか知らないのですが、嫌がおうにも目立つこのマンハッタン最上階の20階に展望レストラン、「121ダイニング」という眺めがいいレストランがあって、私みたいな野蛮人がそこの個室、しかも展望個室を数回利用したことがあるのです。私いち個人ではなく、ジャン母直径親戚一同の集会です。お呼ばれ。
その名目は、高齢になった長老の誰かのお祝い事の類でして、それに誰かが初の個展に出たとか、出版したとか、詩集を自費出版したとかの類。。。
ジャン母直系の親族に繋がるひとたちで今は故人になった方には帝国陸海軍の佐官(左官ではないです)や将官に繋がる方々が多く、軍部での最高位・・・(相撲番付じゃあるまいし、そういう風に表現してよいのかどうか・・・)は現役時でなく予備役か退役時のものかもしれないが、親族はヘンにプライドが高い。
ここでは明かせないが中にはそれなりに著名な大物もいる。でもその方面に詳しくないと耳にしたことない人です。
今年もひとりお亡くなりになった。ジャン母の従弟です。私が20幾歳で社会人になった時に身元保証人になって下さった方なので正月の挨拶は欠かさなかったが、後で聞いたらその方は前戦には出ていないが西国の軍部工場での技術将校だったという。
私以外の従兄弟どもはお祖父さんたちの形見分けを授かった人もいて、軍刀、軍服、帽子、執務室の机に置いてあった文鎮とか、軍部系のグッズがゴロゴロ保管されてたりする。
(私ですか?私はそういうのは一切、持っていません。)
今回は親戚のどなたかの喜寿か傘寿のお祝い&前述の先ごろ亡くなられた方を偲ぶ会も兼ねたということにしておきましょう。

私の記憶ではサンプラザ中野最上階で過去に5回以上集まっている筈。前回は正月明けに開催したそうです。というのは私らは上州にいたので参加しなかったから。
それ以外に私が参加しなかった会もあるし、いったいこのレストランの何処がそんなに気に入ったのか。
主催者たる叔父貴に聞いてみたら、駅から近く老人たちが道に迷わないからというものであった。
「いつもここだけどここは道に迷わなくていいわねぇ」と叔母上が言う。
「ここで道に迷うヤツがいたらバカですよ」
「あっ、○○さんオバさんのことバカにしたわねっ、今は○○(叔母上の住む某市)にもお寿司屋さんや温泉ランドだってできたんだから。高速もできたんだよっ、今度おいでっ」

今回は20人くらいの親族が集まったのだが、開催前週に突然、私に「司会をお願いできないか」という依頼が来た。
いいですよと二つ返事。
それでも一応は本家の従兄弟の顔を立て、「彼を差し置いて私如きでいいんですか?」とは言ったね。でも口だけです。内心では「俺しかいないだろう」と思った。よくぞ選んでくれたぜって。
私だってそういうの初めてではない。
ただ、ぶっつけ本番だと自分でもロクなことを言わないし、自分でも何を喋り出すかわからない。要は事前に主賓というか主役の履歴、経歴を入手して読みあげりゃぁなんとかなるし、言っちゃいけないことを言わなければいいんですよ。
その主賓データ、経歴書メモが待っても待っても来ず、届いたのが開催2日前だったがまぁ何とかなった。自慢じゃないけどこれでも披露宴主賓は2回経験してるし、ジャン父の葬儀や法事でもスピーチなんぞはやってるんです。今回も開会から閉会までつつがなく司会を努めましたよ。
私は若いモンによく言うの。「人前で喋れるようにならなきゃダメだぞ」って。どんなもんだい。
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前回に比べて叔父、叔母、従兄弟どもはトシをとり、甥、姪たちは大人びてきた。親族には外国人女性が2人いて、前回の集まりでは全く日本語がダメだったのだが、今回は私に赤い顔を向け、「シロワインチョーダイ」と来たもんだよ。







店内の雰囲気はというと・・・よくワカラン。こっちは個室だし。WCが遠い私はとうとう最後まで個室から出なかった。時折、窓側に立つと、眼下に中野の街が広がり、吸い込まれそうになり、目を遠くへ向けると新宿の高層ビル街が目に入る。
天気が良かったのでかなり先まで見えたが、熱いんだなこの部屋。日差しが物凄い。私は係に「室温下げてくれ」って言いました。まぁ応対はホテル的ですよ。

このレストランは「121ダイニング」とあるが、これは「イチニイイチダイニング」ではなく、フランス語でいう121の数字読み、「サンヴァンテアン」といいます。外国人の親族が教えてくれた。
ビールがキンキンに冷えてた。白ワインと日本酒も冷えてた。
料理の内容はコースだからかもしれないが普通、可もなく不可もなくで、このレストランのウリたる眺望には負けてるなぁと思った。
でも昼間でも結構遠くまで見えるし、来たことないし来ようとも思わないが夜はなおさら綺麗だろうな。そこそこの高めの料理で眺望を味わうお店でしょう。雨だとガクッと下がるかも知れない。
ここは何年に一度しか利用しないが、飛行機でビジネスクラスに乗るっていうのはこういう気分なのかも知れない。
次回はいつかな。
それまで達者で長生きしてくだされ親族たち。
2013-12-23 13:37
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ダイナミックT [コラム雑記帳]
2012年12月7日引退。。。
実は大ファンでした。

何回か観に行った。武道館や横浜文体へね。
前職でこの世界を好きなヤツ(後輩の女性)がいて、そっちは三沢&小橋の大ファンだったんだけど、こっちは田上&川田のファンだから四天王対決なので一緒に観にいっちゃぁ衝突してたね。


全盛期は95年~96年頃だと思う。
デカくて力強い。ディフェンス面がやや脆い。普段は茫洋としてるけど何故か突然大爆発したり。。。


幾つか覚えてる語録を。。。
「自分は自分なりに一生懸命やってるけどねぇ毎回。でもたまに、ホントにたまに気分が乗らない時もあるけどね。ハハハッ」
「断崖喉輪落とし?やれられた小橋のカオを見たら自分では絶対に食らいたくないね」
試合後にマイクを向けられ、何か喋ると館内が笑いに包まれるのをマスコミに指摘され、
「馬鹿野郎っ、俺は真剣に喋ってるんだぞっ」
またまた試合後にしつこくコメントを求められ、
「今日はもうホントにもう勘弁して。。。お前どこだ!!(どこのマスコミだの意)ゴングかこの野郎っ!!」
「キレたらどーなるって?キレちゃったんだから覚えてないよ」
「タフじゃないよ。弱いんだよ。デリケートなんだよ。誰もそうは思ってないって?いいよ自分でそう思うから」
「上り調子の時もあれば平行線の時もある。これを繰り返しながらだんだん上って行くんだよね。そういうことは俺も昔から聞かされてきたし。平行線っていうのは言い換えるなら壁だよね。壁に当たったとか言うでしょ。でもいずれ上る時は来るんだから、焦らずにやるべきことをしっかりとやって、上る日が来ることを信じて頑張っているんですよ」
三沢がリング上の事故で亡くなり、川田は飲食店経営に転じて引退同然、小橋も今年の春にリングを降りた。
そして何処か昭和の香がする田上が引退、四天王時代が本当に終焉を迎えた。
実は大ファンでした。

何回か観に行った。武道館や横浜文体へね。
前職でこの世界を好きなヤツ(後輩の女性)がいて、そっちは三沢&小橋の大ファンだったんだけど、こっちは田上&川田のファンだから四天王対決なので一緒に観にいっちゃぁ衝突してたね。


全盛期は95年~96年頃だと思う。
デカくて力強い。ディフェンス面がやや脆い。普段は茫洋としてるけど何故か突然大爆発したり。。。


幾つか覚えてる語録を。。。
「自分は自分なりに一生懸命やってるけどねぇ毎回。でもたまに、ホントにたまに気分が乗らない時もあるけどね。ハハハッ」
「断崖喉輪落とし?やれられた小橋のカオを見たら自分では絶対に食らいたくないね」
試合後にマイクを向けられ、何か喋ると館内が笑いに包まれるのをマスコミに指摘され、
「馬鹿野郎っ、俺は真剣に喋ってるんだぞっ」
またまた試合後にしつこくコメントを求められ、
「今日はもうホントにもう勘弁して。。。お前どこだ!!(どこのマスコミだの意)ゴングかこの野郎っ!!」
「キレたらどーなるって?キレちゃったんだから覚えてないよ」
「タフじゃないよ。弱いんだよ。デリケートなんだよ。誰もそうは思ってないって?いいよ自分でそう思うから」
「上り調子の時もあれば平行線の時もある。これを繰り返しながらだんだん上って行くんだよね。そういうことは俺も昔から聞かされてきたし。平行線っていうのは言い換えるなら壁だよね。壁に当たったとか言うでしょ。でもいずれ上る時は来るんだから、焦らずにやるべきことをしっかりとやって、上る日が来ることを信じて頑張っているんですよ」

そして何処か昭和の香がする田上が引退、四天王時代が本当に終焉を迎えた。
2013-12-22 08:13
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ある女性のこと。。。 [人間ドラマ]

写真は横浜市庁舎ですが、この記事と直接の関係はございません。年末が迫り、年内期限の最後の申請に出かけた。
市区町村ではなく県です。いち支店の存続がかかっているトテモトテモ重要な営業更新申請なのだが、敷地の境界に若干説明を要する箇所があって、前回の6年前にもそこを突っ込まれて苦慮し、他行政から証明書や協議書の写しを取り寄せたりして、パスするのに時間がかかったのである。
相手も6年前とは担当者が変わっている。今回も郵送では不可と判断し、会社側からも、「そこは上手くやってきてください」、「強気でお願いします」と託されたもの。
期日ギリギリに持って行くと何か不備があった時に危ない。期日の前週に行った。
相手とは顔見知りだが、心配された箇所はこっちの予想に反してすんなり通った。「ああ、ここは街づくり推進の為の公開空地なんですね」でアッサリとパス。
「では内容を確認してきますので少々お待ちください」
そしたら過去の届出について不備が見つかったのである。私の申請書にない人が登録されているというのだ。
「誰です?」
「Wさんという人です」
「Wが・・・???」
Wは私がこの業界に入ったばかりの時、最初の師匠なんです。ド新人だった私が付いた人。女性です。
でも今はもう鬼籍に入ってしまった。不治の病を患い引退してその年のうちに亡くなった。
「Wは既に亡くなりまして・・・その際に私はこの店舗から外す届出を出しましたが・・・」
「ええっと、そうですか・・・???ではこちらの処理が遅れているんでしょうか。その時の控ってございますか?」
届出は正副とあって副はこちらの控です。受付印を必ず貰ってこちらの記録、控とします。
「会社に戻ればあります」
「ではお手数ですがそれを後日、FAXしていただけますか?郵送ではなくいつも窓口にお見えになられてますからこちらも間違いないとは思うんですが・・・」
郵送ではなく窓口・・・これも顔パス効果ですね。だがWの届出が出てる出てない如何ではこっちの大事な更新申請の処理が止まってしまう。行政というのは書類が全部揃わないと処理を進めないんです。早急に確認することにした。
だが。。。
会社に戻って確認するのがウザったくなった。。。
どうも最近の会社はいろいろゴタついて居心地が悪い。上州から戻って一匹狼みたいになった私は「我関せず」を貫くしかないのだが、それでも相当な雑音、剣呑な私語が耳に入って来る。
戻るのがイヤになり電話して調べて貰うことにしたが会社の人員も様変わりしてしまい、Wを知ってる人は殆どいない。雪子もハデ子もWは知らない。仕方がなくジャン妻に電話した。
「○○店の過去の届出記録を見てWさんを抜いた届出の控を探してくれ」
「Wさんの?」
「抹消されてなかったらしい。亡くなった後で届出を出した筈なんだが・・・」
ジャン妻はしばしパラパラ頁をめくってた。
「亡くなったのっていつ頃?」
「上州に行く前の年じゃなかったかな」
そしたら発見された届出の控、受領印には25年6月になっていた。
(25年6月???)
今年かよ。Wは私が上州に赴任する前年に亡くなってるんです。私も迂闊だが今年の6月だと上州から戻って来たばかりで、そこで思い出したように届出したんだろうか。
行政の手落ちには違いないが、こっちもあまり強くは言えないな。
「その届出をQQQ店にFAXしてくれ」
「QQQ店へ?」
「そこで受け取って再度、引っ返す」
QQQ店とは私が今から移動したとして最も近隣の支店です。そこで受け取って再度、取って返そうとした。
だがQQQ店にはWを知ってるYという古参女性社員がいて、彼女がジャン妻からのFAXを見たら、「何これ?Wさん??」多少はオドロくだろうな。
QQQ店へ行く道すがらは氷雨がパラついていた。寒い。
向かう途中で久々に思い出したWのことを考えた。ド新人だった私がこの業界で初めて付いた人。マジメな超天然、周囲が「何やってんだアイツ?」って思わせるようなことでも本人は大真面目でそこがウケてた部分もあったが、かなり空気が読めない人で、会議で見当違いな質問、意見をブッ放したりするので後年はやや敬遠されてた。
しょーもない一例を挙げると、富士サファリパークと群馬サファリパーク、多摩動物公園と東武動物公園の区別がつかなかったり、PCのプリンタドライバーをインストールしようとしてプラスマイナスのドライバーを差し出したり、PCがフリーズするとすぐさま電源を切ったり、私への差し入れだと言って買って来た缶コーヒーホットを、「冷蔵庫に入れてあるからねっ」って冷やしちゃったり、「○○さん(私のこと)はお砂糖とミルクは要らないわよネ」って言いながら私のブラックを真っ先にガブ飲みして「マズい」と叫んで吐き出したり・・・
他にもたくさん逸話があたがもう覚えていない。
QQQ店に着いたらWを知るYが、「何これ?」
「Wさんを外す処理が洩れてたらしい。こっちは届出したんだよ。ホレ、ここに受付印ある」
「それって行政の怠慢?」
「まぁそうとも言えるが手違いだろうな・・・ったくWのヤツめ、死んでも尚、俺を煩わせるように亡霊みたいに出てきやがってからに」って悪態ついたらYは哀しそうな顔をして、「そんなこと言っちゃダメだよぉ・・・」
「今のは悪い冗談だ」
「いい人だったよね・・・」
「アタリマエだ。あれで悪けりゃどーなる」
「またそんなことを言って・・・」
しばしの沈黙の後、私は己の暴言を打ち消すように、「まぁたまには思い出してやらんとな・・・」
「そうだよ・・・」
「日に日に面影が遠ざかる。久々に思い出した」
(このYは過去に登場しています。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2010-12-14-1
退職したけどワケありで出戻って来たんですよ。)
Wが入院した際、私はWを抜き打ちで見舞おうとその病院に行ったが、個人情報保護とか言われて案内して貰えなかったのである。
ある時期から連絡が来なくなり実家に電話したら、「亡くなりました」って言われた。
「そっとしておいてください」とも言われ、墓参りにも行っていない。
私は先刻の行政窓口に引き返し、「Wを抜いた届出ありました」自信満々に見せた。
「!!!」
先方は恐縮してた。
「申し訳ありませんでした。では今日の届出は大丈夫です。ホントすみませんでした」
外に出たら氷雨は上がっていた。
雲の切れ間から覗く青空にWの笑顔が浮かんだ。

2013-12-21 12:06
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ある行政の女性のこと。。。 [人間ドラマ]

写真は東京都庁ですが本記事と直接の関係はありません。
ある行政担当官の話をします。仮にAさんとしておきます。
Aさんは女性です。首都圏内東京神奈川千葉のどこかの某役所の方。ウチの社ではもっとも煙たがられている行政担当官。書類の審査や指摘、指導が厳しいので社内でも有名なんです。
Aさんの担当する管轄は広く、そこにはこっちも支店が幾つか複数あって訪れる私の回数も多かった。しょっちゅう社員の出入があってその度に届出に行かなくてはならず、行けば必ず何処の役所よりも長いAさんの持論、講話を拝聴しなくてはならない。
講話中に同席したひとりの取締役が、Aさんのあまりの長話についうっかり居眠りをしてしまい、「失礼ですね。あの方は二度と連れて来ないでくださいね」って言われたケースもあった。
Aさんが支店にフラッと抜き打ちに現れて指導、監査に入った時なんかタイヘン。
30分から40分近くも時間を取られてかなり緊張を強いられるそうです。こっちは早く帰って欲しいのに長い時間拘束されてアレコレ指摘され、「ハイハイ」聞いているしかない。指摘された改善結果も期日を切られてそれまでに報告しなけりゃならない。
会社の上層部はAさんを敬遠してある日突然、担当が私に代わったのだが、私も他所では言われない内容不備をズバズバ指摘されるので最初は辟易した。
でも言い換えれば他所の行政がちゃらんぽらんなワケで、何処よりも厳しいAさんの指摘事項の通りに施行、作成すれば他所では殆ど不備を指摘されなかった。まぁAさんは仕事熱心なんですよ。
部下にも厳しい。
後輩に厳しのはわかるけど、役場で雇用している嘱託契約っぽいオバちゃんにも厳しい。「アナタがきちんと責任持って受け付けてくださいっ」って叱りつけてたのを見たことがある。
言われたそのオバちゃんは今でもいるが、たまたまAさんが不在時に行くと、「Aが何て指摘するかわかりませんが・・・」っていつもオドオドしてた。顔色うかがってましたね。
Aさんの過去記事です。3.11にちなむ内容です。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-09-10
私はこの記事の時、いつも厳しいことをズバズバ言うAさんの真の姿、人間性に触れてしまい、その後の対応に感激した。それまであった良くない印象も氷解したし、この時の対応に今でも感謝してる。
受話器に向かって舌鋒鋭く言うAさんは今でも脳裏に焼き付いています。弱者の味方だったといっていい。
この記事でAさんに助けられた現場社員は原発のない土地に去ってしまったが、その時、私はその社員を抜いた届出を持参している。
「アイツは辞めました」
しばしの間があって・・・
「そうですか。何処へ行かれたんですか?」
「結局は原発のない西の地方へ行ったんです。まぁ本人が決めたことですし当人の人生ですから・・・その節は尽力していただきありがとうございました」
「残念ですわね・・・」
当時のドラマは幕引きになった。
Aさんは私が上州に赴任している1年間で異動になったらしく、今年の春に行ったらいなかった。
いなきゃいないでAさんは社内伝説みたいになっていた。社の連中はAさんをお局様みたいに悪口言う時があるが、連中が私に同意させようと水を向けても私は絶対に付和雷同しない。
「俺はあの人の真の姿を見てしまったからそうは思わんよ」
私も人の悪口を全然言わない人間では決してないのだが、皆で誰かターゲットを決めて言うのは嫌いなんです。
Aさんが去った後の役場に午後4時半に行ったら、前述のAさんに叱られた女性に、「今日は早く帰る筈だったんですがねぇ」って嫌味を言われたことがあるんだな。
あのねぇ。
緩んでやがるな。ダメだなAさんがいないと、Aさんが異動になってアナタ喜んだでしょって勘ぐったよ。
(この女性とも私は最近親しくなり、外の通りでバッタリ会って挨拶したり窓口で世間話くらいはするようになった。この時はたまたま早く上がる用事があったのかも知れない。)
Aさんが去った後、Aさんに厳しく鍛えられた後輩さんが1人と、入れ替わりに異動して来た担当さんが2人、計3人ですね。その方たちはさすがに丁寧な応対をしてくれる。
ある届出で私は悪戯心を出し、「役員の診断書原本はこちらに提出しますが、実は今日か明日、○○○に新規出店するので別の者が申請に行っています。そちらの診断書はコピーなので、もしかしたら○○○からこちらに問い合わせが来るかも知れませんよ」って言ったら3人の顔色が変わった。
○○○はAさんが異動した地なんですよ。
「Aから問い合わせが来るかも・・・」って一瞬、戦々恐々としたみたいだね。ひとりは「エッ」って顔を上げ、もう2人はお互い顔を見合わせてたから。
私は腹ん中でニヤニヤしてたがAさん恐るべしである。異動になっても厳しい伝説はまだ生きているらしい。
Aさんの部署への届出は、私の上州勤務中は若いモンが担当していた。その若いモンは私に、「あそこのAさんはご存じですよね」って私に言う。
「知ってるよ。世話になったし」
「話が長いんですよね」
「そうそう、自分の理想、こうあるべきだっていうのを延々とね。でも聞いてりゃいいんだよ」
進行過程で時折、上役の口から、「あそこはAさんがいるんだよな」みたいな雑音が聞こえてきたけど私は知らん顔してた。
若いモンはAさんにいろいろ言われたそうだがそれは誰が担当してもそうで、理想、展望、今後の医療の在り方とか。今後の教育みたいになっちゃったフシもあった。
でもその通りにやってりゃ上手くいくんです。
申請が通った時、「どうだった?」
「細かいです。いろいろ指摘されました。でも現場の検査の時は伊東さんと意気投合して語り合ってましたけどね」
伊東と語り合ったぁ???
伊東というのは現場を統括する伊東甲子太郎という理想理念派です。(でもザルです。)
「ああ、彼とAさんなら話が合うかもね」って言いながらも私は伊東に嫉妬した。しながらも「Aさんの真の姿を見たのは社では俺だけだぞ」って思った。
私はいつか来るであろうAさんとの再会を心待ちにしていた。先日、ようやくにして1年半ぶりに再会が叶ったの。
届出事項を持ってったらAさんは電話中だった。でも受話器を持ったままで私と目が合い、パッと明るく見開いたように見えた。
別の係の女性が対応しようと出て来られたが、私がAさんに視線を合わせたままなのを見て引いた。「この方(私のこと)はAさんが担当なのね、だったら出しゃばらない方がいいワ」って思ったんじゃないかな。
私も久々なので多少の緊張はしたね。
電話が済んでAさんが窓口に来た。私は、「どうも御無沙汰してます。その節は・・・」って言った。Aさんは無言だったが笑顔満面で私に頷かれた。
どちらの届出ですか?なんて他人行儀な挨拶抜きで要件に入り、こちらの目とAさんの目、顔と顔で通じ、私の届出も完璧だったし、1年半ぶりにAさんと会話しました。
印象に残ったのは、「間に立つ人が大事なんです。ネットによる販売とか、ドライブスルーのようなスタイルにはなさらないでくださいね」
Aさんにとってはあの震災直後の私との関わりはもう過去のいち対応でしかないかも知れないが、私は今でも感謝しています。
2013-12-20 08:43
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師走の独り言。。。 [呟き独り言]
12月は大好きです。
この1年間の締めくくりであり、新年への豊富も芽生え、人々はせわしなく、それでいてクリスマスや大晦日もあって1年の中で一番活気があり、それでいて人々に優しさが感じられるのです。

反面、私は1月は苦手なのだ。
これから1年、何が起こるかわからないし、そういう目に見えない不安が伴うからです。
前年に上手くいかなかったことを、いいやもう来年で、って開き直った後で新年を迎えるから、さあどれから手をつけようって考えなきゃなんないからね。特に今年の正月休みは長いし、家で悶々と不安を抱えてるくらいなら、早く出社したい気分になるんです。
実はですね。まだ正式決定ではありませんが、どうも来年、私は上州から殆ど完全撤退になる可能性が高いのだ。
何処かで替わるのは間違いないです。
昨年は100%上州担当だった。
今年は50%で半々でした。
来年は10%も携われるかどうかわからない。こうやって書いちゃえば何か異変が起こって関わりが続くかな~なんて思ってもいます。
「まだ誰にも言っちゃダメよ」(ジャン妻)
「言わねぇよ」
向こうの連中には言っていません。あくまで可能性ですから。先々どう転ぶかはわからないし。

それを胸に秘め、年内の上州出張ラストスパート中です。
この1年間の締めくくりであり、新年への豊富も芽生え、人々はせわしなく、それでいてクリスマスや大晦日もあって1年の中で一番活気があり、それでいて人々に優しさが感じられるのです。

反面、私は1月は苦手なのだ。
これから1年、何が起こるかわからないし、そういう目に見えない不安が伴うからです。
前年に上手くいかなかったことを、いいやもう来年で、って開き直った後で新年を迎えるから、さあどれから手をつけようって考えなきゃなんないからね。特に今年の正月休みは長いし、家で悶々と不安を抱えてるくらいなら、早く出社したい気分になるんです。
実はですね。まだ正式決定ではありませんが、どうも来年、私は上州から殆ど完全撤退になる可能性が高いのだ。
何処かで替わるのは間違いないです。
昨年は100%上州担当だった。
今年は50%で半々でした。
来年は10%も携われるかどうかわからない。こうやって書いちゃえば何か異変が起こって関わりが続くかな~なんて思ってもいます。
「まだ誰にも言っちゃダメよ」(ジャン妻)
「言わねぇよ」
向こうの連中には言っていません。あくまで可能性ですから。先々どう転ぶかはわからないし。

それを胸に秘め、年内の上州出張ラストスパート中です。
2013-12-19 08:07
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小栗上野介忠順 [隠れ郷土史]
小栗上野介は1月15日に幕閣をクビ・・・罷免されると、28日に上野国権田村、現在の群馬県高崎市倉渕町権田への土着願書を提出した。
旧知の商人、三井財閥の祖、三野村利左衛門から米国亡命を勧められたり、渋沢成一郎から上野彰義隊の隊長に推薦されたりもしたが、「慶喜公に戦う意思が無い以上は・・・」と拒絶している。
三野村から米国への亡命をすすめられたともいう。その際に千両箱を贈られそうになり、この逸話と勘定奉行職にあったのが、小栗が持ち帰ったという上州赤城山麓や片品辺りの埋蔵金伝説みたいに流説される基になったのではないだろうか。
そっちの方面の話の方がオモシろそうだって?では信憑性には乏しいがアヤシイ話をひとつ挙げましょう。慶応四年(1868年)春、背に細長い鉄箱を二個ずつ積んだ八頭の牛が沼田街道を北に向かって引かれていったというもの。
千両箱という表現ではなく、細長い鉄の箱と伝わっている。千両箱はロットというか箱単位があって、千両入、二千両入、五千両入があった。相当な重量なので箱の縁が壊れないように鉄で補強してあったそうである。
仮に千両入の箱を牛に二個ずつ積んで計八頭なら一万六千両になるではないか。(ワニの本、埋蔵金を発見した)
最後の公方慶喜が水戸に去る時、勘定方から密かに二万両を渡され、町火消の侠客、新門辰五郎が護衛役だったなどという設もある。それと、誰かが江戸城から御用金を持ち出したとしたら、その人は昭和初期までは生存していたそうで、その聞き取りを基に一攫千金を夢見て三国海道沿いや沼田街道沿い、赤城、片品、昭和村といった辺りを調査、あるいは掘った人はたくさんいるそうである。

だがこの記事は徳川埋蔵金のネタではないので小栗上野介に話を戻します。小栗は家族揃って権田村の東善寺に移り住んだ。


上の写真は屋敷跡に向かう坂口ですが、足元が凍ってたり、ベチャベチャだったので自重しました。上がったところは平場になっていて、後で東山道軍が疑った武装要塞化はされていません。
何して暮らしていたのだろうか。晴耕雨読のようです。水路を整備したり塾を開いたり、農作業に従事したり静かな生活を送っていた。隠遁したといっていい。
だが同年4月、新政府東山道軍の軍監、豊永貫一郎と原保太郎に率いられた高崎藩、安中藩、吉井藩兵より東善寺にいるところを捕縛された際、新政府軍の言う上野介の罪状とは、
①大砲2門と小銃20挺の所持
②農兵の訓練
③勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説。
ここで③についてはこれまでも述べたので割愛しますが、①と②は実際にあったのだろうか。
これは実際にあったといえばあったのだ。新政府軍に抗する目的というより、権田を襲った暴徒の群に対してなのである。
地元の資料には小栗が持ち帰ったという徳川家の軍用金を狙って下野で蜂起した暴徒が前橋、高崎経由でやってきたと。更に武州秩父で蜂起した暴徒が藤岡、富岡を通ってやってきたと。この二勢力が室田で合流、3月になって権田村の手前、三ノ倉に押し寄せた。
その数二千人!!

暴徒らは村々を回って村人を無理に従わせ、従わずば火を放つと恫喝、脅迫した。数が膨れ上がった。
この暴徒だが、薩摩藩が戦闘の名目を欲せんと関東内に密偵を放って佐幕藩を挑発、庄内藩邸による江戸薩摩藩邸焼き打ちから鳥羽伏見の砲声に繋がったように、「小栗が軍用金を私して上州権田に帰っている」といそそのかしに乗った者どもだという。
暴徒は倉渕村の三ノ倉(現在の高崎市役所倉渕支所の辺りか?)に集結し、朝方7時に権田村に向けて行動を開始する。
暴徒の1隊は草津街道沿いから下平(現在の観音山、小栗の住居跡付近)に展開、もう1隊は上流、上権田の上ノ久保から、もう1隊は烏川対岸を攻め上って来た。
3月3日、小栗は村長と談合し、暴徒の首魁と話し合いで解決しようとしたが不調に終わる。二千人の暴徒は二手に分かれて権田村に押し寄せ、十一戸の家々と二棟のお堂を焼いて気勢を挙げた。
この時、ここが大事なのだが、小栗はあくまで防戦の為に家中でフランス式の戦闘訓練を経験済みの歩兵10数人、権田村内の猟師や成人した男子、計100人あまりで防戦した。
あくまで防戦の為ですよ。小栗が率いた戦闘訓練済みの歩兵10数人というのは江戸で要職に就いていた頃の幕府歩兵訓練の経験者に過ぎない。権田村に引っ込んでからこの地で新政府軍に抵抗すべく改めて戦闘訓練をしたのではない。
この辺りが濡れ衣、罠だったのである。
下地図、元村にある寺のマークが小栗が眠る東善寺です。烏川に沿った村々で戦闘が展開された。

小栗は100人を5隊に分けた。1隊20人ずつである。小栗自ら1隊20人を率いて暴徒の本陣、榛名神社・・・何処だか不明・・・を攻撃した。
押し寄せた暴徒たちは数だけ多くても所詮は欲につられた烏合の衆なので小栗が率いる一隊20人を相手にあっさり潰走する。
もう2隊のうち1隊は烏川対岸の宮原に集結した暴徒を攻めこれも追い払ったが、この一連の騒動で約30人が死亡している。
暴徒に脅されて参加した倉渕四村の農民たちは詫び状を出してきたので事態は収拾される。
だが、この騒動が小栗を捕える口実になってしまったのである。新政府軍は小栗を恐れ、「七千人の兵を撃退させるだけの軍事力を持っている」と流布された。もしくは流布させた。二千人の暴徒が尾ヒレが付いて七千人の兵に化けてしまった。
小栗が権田村で持つ軍事力など家中と地元農民併せて100人ほどの男児、小銃20丁、旧式の砲一門程度だったのだが。。。

4月28日か29日、新政府軍の東山道軍がやってきた。
総督は岩倉具定(五百円札の息子)で参謀は八重にも登場した板垣退助と伊知地正治。彼らは上州諸藩に廻状を小栗上野介反逆ノ意志アリと配布する。高崎藩、安中藩、吉井藩、私が上州滞在中にいろいろお世話になり、今でもお世話になってる地の藩に「小栗を捕えろ」厳命を下した。
小栗は三藩の兵に小銃、砲を引き渡し、反逆の意志などない旨を申し立てる。三藩の取り調べは丁寧な物言いだたという。検分の結果、何処にも陣屋、砲台、小塞の類もないのがわかった。アタリマエである。暴徒を追っ払っただけなのだから。

三藩は小栗が言うのを信じ、やや安堵して引き上げるのだが、端っから小栗上野介を断罪する肚の東山道軍総督府は三藩に対して温度差があり、「手ぬるい」「庇いだてするな」激昂した。
運命の日が来た。再度捕縛の兵が権田村に向かう。三藩は新政府軍の命に従わざるを得なかった。小栗上野介はロクな取り調べもないまま5月26日、朝4ツ半(午前11時)、烏川水沼河原に家臣とともに引き出され家臣とともに斬られる。まだまだこれからの享年42歳。



未だ余話がある。
小栗は死の直前、母と身重の夫人、養女を以前から面識があった会津藩家老、横山常守(主税)を頼って会津に脱出させる。横山家老は八重で国広富行さんが演じていた。
一行は善光寺参りに身をやつし、新潟を経て会津に到着した。松平容保公の計らいで会津藩野戦病院に収容され一子を産んだ。
翌明治2年(1869年)春まで会津に留まり東京へと戻ったが帰るべき場所がなく、この項冒頭で触れた商人、三井財閥の中興の祖たる三野村利左衛門が庇護したという。三野村は小栗家の奉公人(中間)だったそうである。
小栗夫人は脱出に成功したが、小栗家の家臣で塚本という用人がいて高崎城内で斬られるのだが、その家族が地蔵峠を越えて松井田か七日市方面に向かった。
だが力尽きた。
地蔵峠は権田村から安中市松井田方面へ抜ける細い道で、そこに至るまでの悲話はここに寄稿するにしのびないくらいに哀しい。
http://www4.ocn.ne.jp/~kurasho/history/sonnaisiseki.htm
地蔵峠とそこに至る道は心霊スポットみたいに噂される記事もあって私はちょっと行く勇気はなかったが、行かれたらそこにある殉難碑に手を合わせてあげてください。
もうひとつ。
小栗の家族を会津まで送り届けた家臣のひとりに佐藤銀十郎という者がいる。
佐藤は会津藩にとどまり各地に転戦する。前に載せた記事、もう一つの白虎士中二番隊で、連戦連敗の会津藩が局地戦ながらも勝利した喜多方熊倉の戦闘の戦場跡墓地にその墓がある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-24
佐藤は熊倉の戦闘で、用水堀の中に潜んで待ち伏せする戦法を指導し新政府軍を苦しめたが斃れた。享年21歳。


墓そのものは掲載しませんが、雨に濡れた説明版には小栗上野介家臣とあった。ちょっと見難いですが。



豪雨の中で墓前に立った私は、自分の好きな上州と会津が繋がった佐藤銀十郎の墓に不思議な感慨を覚えた。

「小栗の策が取り上げられていたら我々の首はなかった」(大村益次郎)
「明治政府の近代化政策は小栗忠順の模倣にすぎない」(大隈重信)
「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」(東郷平八郎)
そして作家、司馬遼太郎曰く、
「明治の父である」
明治の父なら近代国家の父といっていい。明治以降の日本軍部が強大な力を握った時代はさておき、現代の我々が平成の世で安穏と暮らしていけるのも、おおもとは小栗上野介の施策に基を発するといっていいのではないか。
それでいて小栗には、現在の政治家のように私を肥やしたような醜聞は全く見られないのだ。
皆さんはどう思いますか?
旧知の商人、三井財閥の祖、三野村利左衛門から米国亡命を勧められたり、渋沢成一郎から上野彰義隊の隊長に推薦されたりもしたが、「慶喜公に戦う意思が無い以上は・・・」と拒絶している。
三野村から米国への亡命をすすめられたともいう。その際に千両箱を贈られそうになり、この逸話と勘定奉行職にあったのが、小栗が持ち帰ったという上州赤城山麓や片品辺りの埋蔵金伝説みたいに流説される基になったのではないだろうか。
そっちの方面の話の方がオモシろそうだって?では信憑性には乏しいがアヤシイ話をひとつ挙げましょう。慶応四年(1868年)春、背に細長い鉄箱を二個ずつ積んだ八頭の牛が沼田街道を北に向かって引かれていったというもの。
千両箱という表現ではなく、細長い鉄の箱と伝わっている。千両箱はロットというか箱単位があって、千両入、二千両入、五千両入があった。相当な重量なので箱の縁が壊れないように鉄で補強してあったそうである。
仮に千両入の箱を牛に二個ずつ積んで計八頭なら一万六千両になるではないか。(ワニの本、埋蔵金を発見した)
最後の公方慶喜が水戸に去る時、勘定方から密かに二万両を渡され、町火消の侠客、新門辰五郎が護衛役だったなどという設もある。それと、誰かが江戸城から御用金を持ち出したとしたら、その人は昭和初期までは生存していたそうで、その聞き取りを基に一攫千金を夢見て三国海道沿いや沼田街道沿い、赤城、片品、昭和村といった辺りを調査、あるいは掘った人はたくさんいるそうである。

だがこの記事は徳川埋蔵金のネタではないので小栗上野介に話を戻します。小栗は家族揃って権田村の東善寺に移り住んだ。


上の写真は屋敷跡に向かう坂口ですが、足元が凍ってたり、ベチャベチャだったので自重しました。上がったところは平場になっていて、後で東山道軍が疑った武装要塞化はされていません。
何して暮らしていたのだろうか。晴耕雨読のようです。水路を整備したり塾を開いたり、農作業に従事したり静かな生活を送っていた。隠遁したといっていい。
だが同年4月、新政府東山道軍の軍監、豊永貫一郎と原保太郎に率いられた高崎藩、安中藩、吉井藩兵より東善寺にいるところを捕縛された際、新政府軍の言う上野介の罪状とは、
①大砲2門と小銃20挺の所持
②農兵の訓練
③勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説。
ここで③についてはこれまでも述べたので割愛しますが、①と②は実際にあったのだろうか。
これは実際にあったといえばあったのだ。新政府軍に抗する目的というより、権田を襲った暴徒の群に対してなのである。
地元の資料には小栗が持ち帰ったという徳川家の軍用金を狙って下野で蜂起した暴徒が前橋、高崎経由でやってきたと。更に武州秩父で蜂起した暴徒が藤岡、富岡を通ってやってきたと。この二勢力が室田で合流、3月になって権田村の手前、三ノ倉に押し寄せた。
その数二千人!!

暴徒らは村々を回って村人を無理に従わせ、従わずば火を放つと恫喝、脅迫した。数が膨れ上がった。
この暴徒だが、薩摩藩が戦闘の名目を欲せんと関東内に密偵を放って佐幕藩を挑発、庄内藩邸による江戸薩摩藩邸焼き打ちから鳥羽伏見の砲声に繋がったように、「小栗が軍用金を私して上州権田に帰っている」といそそのかしに乗った者どもだという。
暴徒は倉渕村の三ノ倉(現在の高崎市役所倉渕支所の辺りか?)に集結し、朝方7時に権田村に向けて行動を開始する。
暴徒の1隊は草津街道沿いから下平(現在の観音山、小栗の住居跡付近)に展開、もう1隊は上流、上権田の上ノ久保から、もう1隊は烏川対岸を攻め上って来た。
3月3日、小栗は村長と談合し、暴徒の首魁と話し合いで解決しようとしたが不調に終わる。二千人の暴徒は二手に分かれて権田村に押し寄せ、十一戸の家々と二棟のお堂を焼いて気勢を挙げた。
この時、ここが大事なのだが、小栗はあくまで防戦の為に家中でフランス式の戦闘訓練を経験済みの歩兵10数人、権田村内の猟師や成人した男子、計100人あまりで防戦した。
あくまで防戦の為ですよ。小栗が率いた戦闘訓練済みの歩兵10数人というのは江戸で要職に就いていた頃の幕府歩兵訓練の経験者に過ぎない。権田村に引っ込んでからこの地で新政府軍に抵抗すべく改めて戦闘訓練をしたのではない。
この辺りが濡れ衣、罠だったのである。
下地図、元村にある寺のマークが小栗が眠る東善寺です。烏川に沿った村々で戦闘が展開された。

小栗は100人を5隊に分けた。1隊20人ずつである。小栗自ら1隊20人を率いて暴徒の本陣、榛名神社・・・何処だか不明・・・を攻撃した。
押し寄せた暴徒たちは数だけ多くても所詮は欲につられた烏合の衆なので小栗が率いる一隊20人を相手にあっさり潰走する。
もう2隊のうち1隊は烏川対岸の宮原に集結した暴徒を攻めこれも追い払ったが、この一連の騒動で約30人が死亡している。
暴徒に脅されて参加した倉渕四村の農民たちは詫び状を出してきたので事態は収拾される。
だが、この騒動が小栗を捕える口実になってしまったのである。新政府軍は小栗を恐れ、「七千人の兵を撃退させるだけの軍事力を持っている」と流布された。もしくは流布させた。二千人の暴徒が尾ヒレが付いて七千人の兵に化けてしまった。
小栗が権田村で持つ軍事力など家中と地元農民併せて100人ほどの男児、小銃20丁、旧式の砲一門程度だったのだが。。。

4月28日か29日、新政府軍の東山道軍がやってきた。
総督は岩倉具定(五百円札の息子)で参謀は八重にも登場した板垣退助と伊知地正治。彼らは上州諸藩に廻状を小栗上野介反逆ノ意志アリと配布する。高崎藩、安中藩、吉井藩、私が上州滞在中にいろいろお世話になり、今でもお世話になってる地の藩に「小栗を捕えろ」厳命を下した。
小栗は三藩の兵に小銃、砲を引き渡し、反逆の意志などない旨を申し立てる。三藩の取り調べは丁寧な物言いだたという。検分の結果、何処にも陣屋、砲台、小塞の類もないのがわかった。アタリマエである。暴徒を追っ払っただけなのだから。

三藩は小栗が言うのを信じ、やや安堵して引き上げるのだが、端っから小栗上野介を断罪する肚の東山道軍総督府は三藩に対して温度差があり、「手ぬるい」「庇いだてするな」激昂した。
運命の日が来た。再度捕縛の兵が権田村に向かう。三藩は新政府軍の命に従わざるを得なかった。小栗上野介はロクな取り調べもないまま5月26日、朝4ツ半(午前11時)、烏川水沼河原に家臣とともに引き出され家臣とともに斬られる。まだまだこれからの享年42歳。



未だ余話がある。
小栗は死の直前、母と身重の夫人、養女を以前から面識があった会津藩家老、横山常守(主税)を頼って会津に脱出させる。横山家老は八重で国広富行さんが演じていた。
一行は善光寺参りに身をやつし、新潟を経て会津に到着した。松平容保公の計らいで会津藩野戦病院に収容され一子を産んだ。
翌明治2年(1869年)春まで会津に留まり東京へと戻ったが帰るべき場所がなく、この項冒頭で触れた商人、三井財閥の中興の祖たる三野村利左衛門が庇護したという。三野村は小栗家の奉公人(中間)だったそうである。
小栗夫人は脱出に成功したが、小栗家の家臣で塚本という用人がいて高崎城内で斬られるのだが、その家族が地蔵峠を越えて松井田か七日市方面に向かった。
だが力尽きた。
地蔵峠は権田村から安中市松井田方面へ抜ける細い道で、そこに至るまでの悲話はここに寄稿するにしのびないくらいに哀しい。
http://www4.ocn.ne.jp/~kurasho/history/sonnaisiseki.htm
地蔵峠とそこに至る道は心霊スポットみたいに噂される記事もあって私はちょっと行く勇気はなかったが、行かれたらそこにある殉難碑に手を合わせてあげてください。
もうひとつ。
小栗の家族を会津まで送り届けた家臣のひとりに佐藤銀十郎という者がいる。
佐藤は会津藩にとどまり各地に転戦する。前に載せた記事、もう一つの白虎士中二番隊で、連戦連敗の会津藩が局地戦ながらも勝利した喜多方熊倉の戦闘の戦場跡墓地にその墓がある。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-07-24
佐藤は熊倉の戦闘で、用水堀の中に潜んで待ち伏せする戦法を指導し新政府軍を苦しめたが斃れた。享年21歳。


墓そのものは掲載しませんが、雨に濡れた説明版には小栗上野介家臣とあった。ちょっと見難いですが。



豪雨の中で墓前に立った私は、自分の好きな上州と会津が繋がった佐藤銀十郎の墓に不思議な感慨を覚えた。

「小栗の策が取り上げられていたら我々の首はなかった」(大村益次郎)
「明治政府の近代化政策は小栗忠順の模倣にすぎない」(大隈重信)
「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」(東郷平八郎)
そして作家、司馬遼太郎曰く、
「明治の父である」
明治の父なら近代国家の父といっていい。明治以降の日本軍部が強大な力を握った時代はさておき、現代の我々が平成の世で安穏と暮らしていけるのも、おおもとは小栗上野介の施策に基を発するといっていいのではないか。
それでいて小栗には、現在の政治家のように私を肥やしたような醜聞は全く見られないのだ。
皆さんはどう思いますか?
2013-12-18 07:23
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小栗上野介忠順 [隠れ郷土史]
会津藩で軍制改革が行われた慶応4年(1868年)3月に古代中国の東西南北を護る四神の名を冠にした中隊、大隊が編成される。
青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)である。
その初期の頃、白虎隊のいずれかに幻の初出動任務が下った。
任務は上州倉渕、権田村に隠退していた旧幕府勘定奉行他、数々の要職を歴任した小栗上野介忠順を会津に迎えるべく、白虎隊を使者として派遣するというもの。
先んじて小栗は懐妊中の夫人を先に越後新潟経由で会津に向けて避難させている。夫人は4月23日に会津入りするのだが、会津藩はその前に小栗も会津に来るであろうと察して迎えに派遣しようとしたという。
だが間に合わなかった。
小栗は東山道を東上してきた新政府軍と、新政府軍に脅された高崎藩兵他に捕えられ、同年4月6日、ロクな尋問、取り調べもなく処刑された。
白虎隊の初出動は中止になったのである。
(後述しますが、小栗夫人は身の危険を察した小栗の配慮で会津にたどり着いた。)

上州から戻る前、2013年2月の風景です。
高崎市に合併した旧榛名町から更に草津方面に遡り、長閑な権田村を流れる烏川の畔、田んぼの片隅に小栗上野介の終焉の地がある。水沼橋のそばです。


墓はそこからほど近い東善寺にある。


小栗上野介忠順とはどういう人なのか。
俗っぽく言えば、徳川埋蔵金を上州の何処かに持ち帰って埋蔵したかも知れない人と言えば思い出す人も多かろうかと思う。
話に入り易いようにその金銀ザックッザクの真偽について背景を述べます。新政府軍は大阪城内にあった18万両もの金を榎本艦隊に持ち去られ、江戸の金座、銀座、銭座から総額20万両の貨幣や金を押収したが、江戸城受け渡しの際には御金蔵に金が全くなくスッカラかんだったのだ。
それら御用金は小栗か小栗の意を受けた何者かがそれらを持ち出し、小栗の在所だった上州へ向けて三国海道、沼田街道、利根川水運沿いに運び、何処かへ埋蔵したという伝説が流布される。よく言われるのは赤城山麓です。
小栗が幕末最後の勘定奉行であったことや、タカ派だった為に恭順に傾いた徳川慶喜に疎まれお役御免になり、在所たる上州倉渕権田村に隠退したタイミングが合わさって小栗忠順が御用金を持ち去ったなどという一種のデマ、当時の都市伝説??
その趣味の方面には壮大なゴールデンドリームになったのであろうかと。
別にこの項は上州の徳川埋蔵金伝説を探るものではないですが、埋蔵金、大判小判、金塊というキラキラした世界から離れてみて、小栗忠順は何をした人なのだろうか。
あまり幕末もので主役、準主役で観ない人だが、身を粉にして働いた人なのがわかった。
文久元年(1861年)35歳で外国奉行
文久2年(1862年)36歳で勘定奉行&歩兵奉行
文久3年(1863年)37歳で陸軍奉行
元治元年(1864年)38歳で勘定奉行&軍艦奉行
慶応元年(1865年)39歳で勘定奉行&軍艦奉行
慶応2年(1866年)40歳で海軍奉行
慶応3年(1867年)41歳で勘定奉行&陸軍奉行
これって辞任再任を繰り返してるんですかね。同じ要職をちょいちょい歴任、再任されてるのを見ると、どうも歯に衣着せずズバリものを言う人で上役から煙たがられたのかも知れない。
小栗上野介を題材にしたドラマ今日まで一つだけある。
2003年の正月時代劇、「またも辞めたか亭主殿~幕末の名奉行小栗上野介~」というもの。
主人公の小栗は岸谷五郎さんが演じた。私は見ていません。見てないのであれこれ言えないけど、またも辞めたか・・・というのは前述の職歴のように就任辞任を繰り返していたから?


後年の創作かも知れないが、勝海舟とはライバル関係だったようですね。
小栗は上記の要職に就く前、日本人で初めて地球を一周した人でもある。
安政7年(1860年)、遣米使節目付役・・・目付だから監察のような立場で正使一行と、ポーハタン号に乗船、太平洋航路を2ヶ月かけてサンフランシスコに到着した。
使節代表は新見という者だったが、その新見代表以下の一行は現地で外国人に対してどう接していいかわからなかった。それ以前に多少とも外国人と折衝経験がある小栗は正規の使節と間違われたらしい。
現地で日米修好通商条約で定められた不適当な小判と金貨の交換比率を改定しようと努力したがそれは妥結できなかったものの、ワシントン海軍工廠を見学して製鉄や金属加工技術に驚き危機感を持ち、帰国した暁には国内でも製鉄所を建設しようと期するものがあった。
帰路はナイアガラ号という船で大西洋航路で品川に帰ってきた。だから地球一周したというわけ。
小栗は最初に勘定奉行に就いてからは遅まきながらも幕府の財政立て直しに携わるが、自国での軍艦建造能力がないので幕府が諸外国から購入した軍艦の総額は330万ドルを超過したのに愕然とした。それでいて要職に就いてからはもっともっと金がかかる事業に取り組む。
フランス公使と結んで幕軍洋式軍隊の整備、これは薩摩が英国と結んだのでそれに対抗したのだろうか。
文久3年(1863年)には横須賀製鉄所建設案を幕府に提出する。それには大量の鉄が必要なので、上州甘楽郡中小坂村、現在の群馬県甘楽郡下仁田町の中小坂に中小坂鉄山採掘施設を計画する。鉄鉱石がたくさん埋まってたのである。
製鉄所は慶応元年(1865年)11月15日に建設スタート。
横須賀製鉄所は後の横須賀海軍工廠だが、これを持って後年、東郷平八郎に、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰である」と言わしめることになる。
だが建設費用がまた莫大で総額240万ドル。これをどうやって工面、捻出したのだろうか。勘定奉行の地位を活かして貨幣増鋳による貨幣発行益から建設費用を賄っていたのではないか。
反対の為の反対論もあったが小栗は押し切った。
横須賀製鉄所の所長としてフランス人の誰かを任命したのだが、この人事で導入されたのが、従業員の雇用規則、月給制度、職務分掌、残業手当他の人事労務管理の基礎といったもの。日本に初めて導入されたといっていい。
幕府はフランスと結んだので、日本初のフランス語学校も設立する。

まだある。。。
陸軍奉行にもなっているので小銃、大砲、弾薬等の国産化も推進する。
現在の東京医科歯科大学のある湯島にあった湯島大小砲鋳立場という工場を現在の文京区関口にあった関口製造所に統合し、カビの生えた旧式の製造法を外国の技術に置き換えた。
火薬の製造には弾薬用火薬製造機械をベルギーから購入した。これを北区にあった滝野川反射炉の一角に設置して日本初の西洋式火薬工場を建設した。これは後年、小石川の旧水戸藩邸に建設された東京砲兵工廠に引き継がれるもの。

慶応2年12月8日(1867年1月12日)にフランス軍事顧問団が到着して翌日から洋式訓練が開始される。それと同時にフランスに大砲90門、シャスポー銃10000丁、後装小銃総計25000丁、陸軍将兵用の軍服27000人分を大量発注し、購入金額は総計72万ドルになった。
ここで軍服の発注数だが、27000人分の兵力が幕軍にあったということか。このスケールで何故、幕軍は新政府軍に敗れたのか解せなくなってきた。
他にも大阪の商人から100万両を出資させて慶応3年(1867年)に株式会社「兵庫商社」の設立したり、日本初のホテル「築地ホテル館」を建設したりする。
この莫大な金のかけ方、動かし方、それでいて江戸城開城後に金銀がゼロという奇禍、だから埋蔵金伝説を生んだともいえるが、これほど金を動かして忙しく働いた幕府要人は他にそうそういないのではないだろうか。

徳川慶喜の恭順には反対した。
腰が抜けた徳川慶喜が鳥羽伏見戦後、幕軍を騙すように置き去りにして逃げ帰った後の1月12日の評定で、小栗は榎本武揚、大鳥圭介、水野忠徳らと徹底抗戦を主張する。
小栗には新政府軍に勝つ戦術があった。新政府軍が箱根に入ったところを陸軍で迎撃する。同時に榎本率いる幕府艦隊を駿河湾に突入させて後続部隊を艦砲射撃で足止めし、箱根の新政府軍を孤立化させて殲滅するというもの。挟撃策である。
慶喜の袴の裾を握って決戦の決断を迫ったが、恭順に傾き怒った慶喜はその場で小栗の役職を解いた。裾を振り払って奥に姿を消した。
この頃の慶喜は自分だけ助かりゃいいとしか思えないフシがある。百才あって一誠なし、貴人情を知らずである。
小栗は形式上では慶応4年(1868年)1月15日、江戸城にて老中松平康英から「御役御免及勤仕並寄合」という沙汰を言い渡されたのだが、上記のようにその3日前に慶喜から免職されているので、「将軍直々にお役御免になったのは自分ぐらいであろう」って自嘲気味にボヤいた。
これだけ働いて最後はあっけなく免職させられたのである。



小栗は静かな権田村に隠退した。
そこへも新政府軍の靴音が響いてくる。だがその前に、小栗が徳川家の御用金を山のように持ち帰ったというデマが流布され、それを狙って暴徒が押し寄せてくるのだ。(続く)
青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)である。
その初期の頃、白虎隊のいずれかに幻の初出動任務が下った。
任務は上州倉渕、権田村に隠退していた旧幕府勘定奉行他、数々の要職を歴任した小栗上野介忠順を会津に迎えるべく、白虎隊を使者として派遣するというもの。
先んじて小栗は懐妊中の夫人を先に越後新潟経由で会津に向けて避難させている。夫人は4月23日に会津入りするのだが、会津藩はその前に小栗も会津に来るであろうと察して迎えに派遣しようとしたという。
だが間に合わなかった。
小栗は東山道を東上してきた新政府軍と、新政府軍に脅された高崎藩兵他に捕えられ、同年4月6日、ロクな尋問、取り調べもなく処刑された。
白虎隊の初出動は中止になったのである。
(後述しますが、小栗夫人は身の危険を察した小栗の配慮で会津にたどり着いた。)

上州から戻る前、2013年2月の風景です。
高崎市に合併した旧榛名町から更に草津方面に遡り、長閑な権田村を流れる烏川の畔、田んぼの片隅に小栗上野介の終焉の地がある。水沼橋のそばです。


墓はそこからほど近い東善寺にある。


小栗上野介忠順とはどういう人なのか。
俗っぽく言えば、徳川埋蔵金を上州の何処かに持ち帰って埋蔵したかも知れない人と言えば思い出す人も多かろうかと思う。
話に入り易いようにその金銀ザックッザクの真偽について背景を述べます。新政府軍は大阪城内にあった18万両もの金を榎本艦隊に持ち去られ、江戸の金座、銀座、銭座から総額20万両の貨幣や金を押収したが、江戸城受け渡しの際には御金蔵に金が全くなくスッカラかんだったのだ。
それら御用金は小栗か小栗の意を受けた何者かがそれらを持ち出し、小栗の在所だった上州へ向けて三国海道、沼田街道、利根川水運沿いに運び、何処かへ埋蔵したという伝説が流布される。よく言われるのは赤城山麓です。
小栗が幕末最後の勘定奉行であったことや、タカ派だった為に恭順に傾いた徳川慶喜に疎まれお役御免になり、在所たる上州倉渕権田村に隠退したタイミングが合わさって小栗忠順が御用金を持ち去ったなどという一種のデマ、当時の都市伝説??
その趣味の方面には壮大なゴールデンドリームになったのであろうかと。
別にこの項は上州の徳川埋蔵金伝説を探るものではないですが、埋蔵金、大判小判、金塊というキラキラした世界から離れてみて、小栗忠順は何をした人なのだろうか。
あまり幕末もので主役、準主役で観ない人だが、身を粉にして働いた人なのがわかった。
文久元年(1861年)35歳で外国奉行
文久2年(1862年)36歳で勘定奉行&歩兵奉行
文久3年(1863年)37歳で陸軍奉行
元治元年(1864年)38歳で勘定奉行&軍艦奉行
慶応元年(1865年)39歳で勘定奉行&軍艦奉行
慶応2年(1866年)40歳で海軍奉行
慶応3年(1867年)41歳で勘定奉行&陸軍奉行
これって辞任再任を繰り返してるんですかね。同じ要職をちょいちょい歴任、再任されてるのを見ると、どうも歯に衣着せずズバリものを言う人で上役から煙たがられたのかも知れない。
小栗上野介を題材にしたドラマ今日まで一つだけある。
2003年の正月時代劇、「またも辞めたか亭主殿~幕末の名奉行小栗上野介~」というもの。
主人公の小栗は岸谷五郎さんが演じた。私は見ていません。見てないのであれこれ言えないけど、またも辞めたか・・・というのは前述の職歴のように就任辞任を繰り返していたから?


後年の創作かも知れないが、勝海舟とはライバル関係だったようですね。
小栗は上記の要職に就く前、日本人で初めて地球を一周した人でもある。
安政7年(1860年)、遣米使節目付役・・・目付だから監察のような立場で正使一行と、ポーハタン号に乗船、太平洋航路を2ヶ月かけてサンフランシスコに到着した。
使節代表は新見という者だったが、その新見代表以下の一行は現地で外国人に対してどう接していいかわからなかった。それ以前に多少とも外国人と折衝経験がある小栗は正規の使節と間違われたらしい。
現地で日米修好通商条約で定められた不適当な小判と金貨の交換比率を改定しようと努力したがそれは妥結できなかったものの、ワシントン海軍工廠を見学して製鉄や金属加工技術に驚き危機感を持ち、帰国した暁には国内でも製鉄所を建設しようと期するものがあった。
帰路はナイアガラ号という船で大西洋航路で品川に帰ってきた。だから地球一周したというわけ。
小栗は最初に勘定奉行に就いてからは遅まきながらも幕府の財政立て直しに携わるが、自国での軍艦建造能力がないので幕府が諸外国から購入した軍艦の総額は330万ドルを超過したのに愕然とした。それでいて要職に就いてからはもっともっと金がかかる事業に取り組む。
フランス公使と結んで幕軍洋式軍隊の整備、これは薩摩が英国と結んだのでそれに対抗したのだろうか。
文久3年(1863年)には横須賀製鉄所建設案を幕府に提出する。それには大量の鉄が必要なので、上州甘楽郡中小坂村、現在の群馬県甘楽郡下仁田町の中小坂に中小坂鉄山採掘施設を計画する。鉄鉱石がたくさん埋まってたのである。
製鉄所は慶応元年(1865年)11月15日に建設スタート。
横須賀製鉄所は後の横須賀海軍工廠だが、これを持って後年、東郷平八郎に、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰である」と言わしめることになる。
だが建設費用がまた莫大で総額240万ドル。これをどうやって工面、捻出したのだろうか。勘定奉行の地位を活かして貨幣増鋳による貨幣発行益から建設費用を賄っていたのではないか。
反対の為の反対論もあったが小栗は押し切った。
横須賀製鉄所の所長としてフランス人の誰かを任命したのだが、この人事で導入されたのが、従業員の雇用規則、月給制度、職務分掌、残業手当他の人事労務管理の基礎といったもの。日本に初めて導入されたといっていい。
幕府はフランスと結んだので、日本初のフランス語学校も設立する。

まだある。。。
陸軍奉行にもなっているので小銃、大砲、弾薬等の国産化も推進する。
現在の東京医科歯科大学のある湯島にあった湯島大小砲鋳立場という工場を現在の文京区関口にあった関口製造所に統合し、カビの生えた旧式の製造法を外国の技術に置き換えた。
火薬の製造には弾薬用火薬製造機械をベルギーから購入した。これを北区にあった滝野川反射炉の一角に設置して日本初の西洋式火薬工場を建設した。これは後年、小石川の旧水戸藩邸に建設された東京砲兵工廠に引き継がれるもの。

慶応2年12月8日(1867年1月12日)にフランス軍事顧問団が到着して翌日から洋式訓練が開始される。それと同時にフランスに大砲90門、シャスポー銃10000丁、後装小銃総計25000丁、陸軍将兵用の軍服27000人分を大量発注し、購入金額は総計72万ドルになった。
ここで軍服の発注数だが、27000人分の兵力が幕軍にあったということか。このスケールで何故、幕軍は新政府軍に敗れたのか解せなくなってきた。
他にも大阪の商人から100万両を出資させて慶応3年(1867年)に株式会社「兵庫商社」の設立したり、日本初のホテル「築地ホテル館」を建設したりする。
この莫大な金のかけ方、動かし方、それでいて江戸城開城後に金銀がゼロという奇禍、だから埋蔵金伝説を生んだともいえるが、これほど金を動かして忙しく働いた幕府要人は他にそうそういないのではないだろうか。

徳川慶喜の恭順には反対した。
腰が抜けた徳川慶喜が鳥羽伏見戦後、幕軍を騙すように置き去りにして逃げ帰った後の1月12日の評定で、小栗は榎本武揚、大鳥圭介、水野忠徳らと徹底抗戦を主張する。
小栗には新政府軍に勝つ戦術があった。新政府軍が箱根に入ったところを陸軍で迎撃する。同時に榎本率いる幕府艦隊を駿河湾に突入させて後続部隊を艦砲射撃で足止めし、箱根の新政府軍を孤立化させて殲滅するというもの。挟撃策である。
慶喜の袴の裾を握って決戦の決断を迫ったが、恭順に傾き怒った慶喜はその場で小栗の役職を解いた。裾を振り払って奥に姿を消した。
この頃の慶喜は自分だけ助かりゃいいとしか思えないフシがある。百才あって一誠なし、貴人情を知らずである。
小栗は形式上では慶応4年(1868年)1月15日、江戸城にて老中松平康英から「御役御免及勤仕並寄合」という沙汰を言い渡されたのだが、上記のようにその3日前に慶喜から免職されているので、「将軍直々にお役御免になったのは自分ぐらいであろう」って自嘲気味にボヤいた。
これだけ働いて最後はあっけなく免職させられたのである。



小栗は静かな権田村に隠退した。
そこへも新政府軍の靴音が響いてくる。だがその前に、小栗が徳川家の御用金を山のように持ち帰ったというデマが流布され、それを狙って暴徒が押し寄せてくるのだ。(続く)
2013-12-17 00:20
コメント(2)
笑ふ女 [人間ドラマ]
何かあるとすぐ笑ってごまかす笑ふ女というキャラがいる。過去に何回か登場した。
仕事はできるのだが、機転、応用力が効かないのとポカが少なくない。日々の業務を丁寧にこなしているのだが、捺印忘れや、記入不可欠の箇所をポロッとそこだけ抜けてたりっていうミスがあって、なんでこんな簡単なミスするんだ?っていうミスをする。
そこをこっちが突っ込むと、「ぶふふっ(笑)」って笑うクセがあって、先日もジャン妻に注意されてた。
「こことここの数値違ってるよっ」(ジャン妻)
「ぶふっ(笑)」
「ぶふじゃないっ」(ジャン妻)
「スミマセンぶふふっ(笑)」
「ぶふふじゃないっ」(ジャン妻)
みたいな遣り取りがあった。
ジャン妻は、ぶふふ女と呼んでいる。
「あのさ。。。」
「ハイ。。。」
「笑うのは心身にいいことだと思うよ。でも何でここで普通笑わないだろっていうタイミングで笑うのさ?」
「ええっと。。。」
「日頃っから洋画なんか観てても、ここで普通笑わないだろう、泣く場面だろうっていう場面でも平気で笑ってたりするんだろ?」
「ぶふっ(笑)、そ、そんなっ(笑)、泣く場面ではちゃんと泣きますよっ。こう見えても人見知りなんですっ。前は笑うどころか感情を表に出さなかったんですからっ」
「人見知りぃ?君がかい?」
「はい」
うそつけこの女と思ったが。
「じゃぁ今みたいにやたらと笑うようになったきっかけってあんの?」
「ええっと・・・」
「自信過剰に言わせて貰うとさ、昨年俺らがこっち(上州)に来てからか?」
「・・・???」
やや自惚れた私は、「俺と知り得たからだろ?」
殆ど自信過剰の私だが、それまでやや暗かったこの女性の心の窓を開け、氷解させた自負はあるよ。だって別の従業員複数に言われたモン。「〇〇さんが来てからですよ。あんなに明るくなったのは?」って。
だけど、返って来た返事は私が期待する返事じゃなかった。
「ぶふっ(笑)、残念ながら〇〇さん(私のこと)ではありません。ぶふふっ(笑)、前職で上司に言われたってのはあります。笑う時は笑う、その時の感情を表に出した方がいいよって言われたんです」
「何だ。俺じゃないのか。前の上司かい」
「ハイ。ぶふふっ(笑)、でもその上司、〇〇さん(私のこと)に良く似てました。なので〇〇さんは私の苦手なタイプじゃなかったんです。ぶふふっ(笑)」
「・・・」
その笑ふ女とイタリアンレストランでランチ中でおます。
こっちは不慣れなナイフとフォークをガチャガチャ駆使してたら、
「ぶふっ(笑)」
「笑うなっ」
「あっスミマセン…でも…ぶふふっ(笑)」
「話があるんじゃなかったのかい」
「ああ、ハイ。実はですねぇ・・・」
昨夜、上州での運営会議終了後、笑ふ女が沈痛な表情でやって来て、「お話があるんですけど」・・・そう言いながら一枚のメモを俺に手渡した。
密かに隠れて渡せばいいものを皆の前で堂々と渡しやがって。そのメモには上手な手書き文字で、「もういい加減に限界です。10日くらいリフレッシュの旅に出たいです」とか何とかプッツンした文言が書きなぐってあった。
会議終了は夜21時を過ぎるので、その後で場所を変えて話すにしても遅くなってしまう。上州の夜は一部を除いて早いんです。笑ふ女はシングルマザーだが主婦なので「後で連絡する」って言ってその夜は一旦、帰したんです。
私は上役に相談した。
「何か話があるそうです。プッツンしたメールが届きました。もう限界ですとか何とか」
置手紙、メモを携帯メールに置き換えて報告した。
「まさか辞めるのかなぁ。マズいぞそれは。話を聞いてきてくれ」という指示であった。
翌日の昼です。
「会談場所は何処がいい?」って聞いたら笑ふ女のヤツ考える気も無さそうで、「〇〇さん(私のこと)にお任せします」
お任せするったって・・・
話があるって言ったのはそっちだろうがっ。
「〇〇さん(私のこと)の方が詳しいでしょ、ぶふふっ(笑)」
私の知らない美味しい店を紹介して貰えるかな~と変な期待をしたが気の利かない女だ。期待した私がアホだった。
話が長引くのを予想して、オーナー&シェフがひとりで切り盛りして、料理ができるまで時間がかかる店をわざと選んだつもり。
まさか辞めるのかと思いきや内部告発・・・には違いないが、馬っ鹿馬鹿しい内容だった。ターゲットは店長。
「何それ?マジ??」
「ええ、そうなんです。」
「何でまたそんな・・・」
「よくわからないんですけど。何だかオカしかったんですよ」
「その場で本人に注意しなかったのか?」
「そ、そんなぁ、言えませんよぅ。ぶははははっ(笑)」
言い難いことを吐き出したら自分でも気が緩んだらしい。ぶふふ笑いが止まらなくなりそうなので、
「笑えないよ。話があるってのはそれなのかい??」
「まぁ・・・その・・・話のメインはそれです。それでなくても最近店長はだらしがないんで。子供みたいなんですよ。」
これだけだと全然わからないでしょうがスミマセン内容は書けません。内部告発で私が懸念するのは社内横領といった金銭トラブルやハラスメントなんです。それらは懲戒の対象になるからね。そういう最悪なものではなかったのでヨカッタ。
私が気になったのはむしろ昨夜のプッツンしたメモの方で、
「昨夜のメモに10日間リフレッシュ休暇取りたいってのはそれが原因かい?」
「う~ん…あれはちょっと言ってみたかったかな~ってのがあるんですけどっ(笑)、ぶはははっ(笑)」
「辞めたくなったんかと思ったんだぞっ」
「ああスミマセェン。でも昨日はホントこんな人と同じとこで働きなくないぃ~、異動したいぃ~って思ったんでぇ。でも今は大丈夫です落ち着きました。ぶふふっ(笑)」
内容はお話できないが辞める云々のネタでなくてよかった。異動ったって笑ふ女は現場の柱なのでそう簡単にはいかないのだよ。
他にも店内の人間関係のトラブルとか相談されたがそれは省略します。
記念に一枚だけ撮りました。 ↓

話の中身は軽かったが、このランチ、見ためより重く、ズシッと来ましたよ。
喰いながら、喋りながら途中で気づいたのだが。。。
笑ふ女はあまり外食に慣れてないらしく、私と会ってランチに行くって事前に約束したのに殆どノーメイク。
服装もその辺のスーパーにでも買い物に行くようなカッコ。
私はやや憮然とした。もうちょっと俺を意識しろよ。
取りあえずこのランチ会を締めなければならない。
「ええっと、今日、俺がこうして昼を誘わなかったら昼飯はどーしたんだ?」
「家です」
「家でなにを?」
「あるもので。朝の残りで。ぶはははっ(笑)」
「・・・」
「〇〇さん(私のこと)みたいに店を開拓しないんですよぅ」
「郊外に出たりしないの?」
「生活圏内が半径20km以内なんでぇ。県外にも出ないです」
私は心ん中でこの田舎女めって苦笑した。
「あ、あのさぁ。君は俺がいなかったら今日みたいなくだらないネタは誰に相談するんだ?」
「ええっと・・・誰もいないですねぇ」
ただ、上役へのクレームだったので直接私に訴えてきたので別にルート的には間違ってないんですよ。
「そうか。誰もいないのか。昨夜の今日でまだ10日間も休みたいって思ってる?生活圏内半径20kmで10日も休んで何処へ遊びに・・・?ここは海が無いから南の島へとか?」
「いいですねぇ。ぶふふふっ(笑)」
「でも10日間もリフレッシュ休暇取っても7日め、8日め、9日めになったらだんだんとユーウツになるもんだぞ」
「でしょうね。そんなに休んだことないですけどっ。ぶふふっ(笑)」
会食場所は内緒です。
勘定は私の自腹です。私は従業員との個別面談で領収書をきったことは一度もありません。
仕事はできるのだが、機転、応用力が効かないのとポカが少なくない。日々の業務を丁寧にこなしているのだが、捺印忘れや、記入不可欠の箇所をポロッとそこだけ抜けてたりっていうミスがあって、なんでこんな簡単なミスするんだ?っていうミスをする。
そこをこっちが突っ込むと、「ぶふふっ(笑)」って笑うクセがあって、先日もジャン妻に注意されてた。
「こことここの数値違ってるよっ」(ジャン妻)
「ぶふっ(笑)」
「ぶふじゃないっ」(ジャン妻)
「スミマセンぶふふっ(笑)」
「ぶふふじゃないっ」(ジャン妻)
みたいな遣り取りがあった。
ジャン妻は、ぶふふ女と呼んでいる。
「あのさ。。。」
「ハイ。。。」
「笑うのは心身にいいことだと思うよ。でも何でここで普通笑わないだろっていうタイミングで笑うのさ?」
「ええっと。。。」
「日頃っから洋画なんか観てても、ここで普通笑わないだろう、泣く場面だろうっていう場面でも平気で笑ってたりするんだろ?」
「ぶふっ(笑)、そ、そんなっ(笑)、泣く場面ではちゃんと泣きますよっ。こう見えても人見知りなんですっ。前は笑うどころか感情を表に出さなかったんですからっ」
「人見知りぃ?君がかい?」
「はい」
うそつけこの女と思ったが。
「じゃぁ今みたいにやたらと笑うようになったきっかけってあんの?」
「ええっと・・・」
「自信過剰に言わせて貰うとさ、昨年俺らがこっち(上州)に来てからか?」
「・・・???」
やや自惚れた私は、「俺と知り得たからだろ?」
殆ど自信過剰の私だが、それまでやや暗かったこの女性の心の窓を開け、氷解させた自負はあるよ。だって別の従業員複数に言われたモン。「〇〇さんが来てからですよ。あんなに明るくなったのは?」って。
だけど、返って来た返事は私が期待する返事じゃなかった。
「ぶふっ(笑)、残念ながら〇〇さん(私のこと)ではありません。ぶふふっ(笑)、前職で上司に言われたってのはあります。笑う時は笑う、その時の感情を表に出した方がいいよって言われたんです」
「何だ。俺じゃないのか。前の上司かい」
「ハイ。ぶふふっ(笑)、でもその上司、〇〇さん(私のこと)に良く似てました。なので〇〇さんは私の苦手なタイプじゃなかったんです。ぶふふっ(笑)」
「・・・」
その笑ふ女とイタリアンレストランでランチ中でおます。
こっちは不慣れなナイフとフォークをガチャガチャ駆使してたら、
「ぶふっ(笑)」
「笑うなっ」
「あっスミマセン…でも…ぶふふっ(笑)」
「話があるんじゃなかったのかい」
「ああ、ハイ。実はですねぇ・・・」
昨夜、上州での運営会議終了後、笑ふ女が沈痛な表情でやって来て、「お話があるんですけど」・・・そう言いながら一枚のメモを俺に手渡した。
密かに隠れて渡せばいいものを皆の前で堂々と渡しやがって。そのメモには上手な手書き文字で、「もういい加減に限界です。10日くらいリフレッシュの旅に出たいです」とか何とかプッツンした文言が書きなぐってあった。
会議終了は夜21時を過ぎるので、その後で場所を変えて話すにしても遅くなってしまう。上州の夜は一部を除いて早いんです。笑ふ女はシングルマザーだが主婦なので「後で連絡する」って言ってその夜は一旦、帰したんです。
私は上役に相談した。
「何か話があるそうです。プッツンしたメールが届きました。もう限界ですとか何とか」
置手紙、メモを携帯メールに置き換えて報告した。
「まさか辞めるのかなぁ。マズいぞそれは。話を聞いてきてくれ」という指示であった。
翌日の昼です。
「会談場所は何処がいい?」って聞いたら笑ふ女のヤツ考える気も無さそうで、「〇〇さん(私のこと)にお任せします」
お任せするったって・・・
話があるって言ったのはそっちだろうがっ。
「〇〇さん(私のこと)の方が詳しいでしょ、ぶふふっ(笑)」
私の知らない美味しい店を紹介して貰えるかな~と変な期待をしたが気の利かない女だ。期待した私がアホだった。
話が長引くのを予想して、オーナー&シェフがひとりで切り盛りして、料理ができるまで時間がかかる店をわざと選んだつもり。
まさか辞めるのかと思いきや内部告発・・・には違いないが、馬っ鹿馬鹿しい内容だった。ターゲットは店長。
「何それ?マジ??」
「ええ、そうなんです。」
「何でまたそんな・・・」
「よくわからないんですけど。何だかオカしかったんですよ」
「その場で本人に注意しなかったのか?」
「そ、そんなぁ、言えませんよぅ。ぶははははっ(笑)」
言い難いことを吐き出したら自分でも気が緩んだらしい。ぶふふ笑いが止まらなくなりそうなので、
「笑えないよ。話があるってのはそれなのかい??」
「まぁ・・・その・・・話のメインはそれです。それでなくても最近店長はだらしがないんで。子供みたいなんですよ。」
これだけだと全然わからないでしょうがスミマセン内容は書けません。内部告発で私が懸念するのは社内横領といった金銭トラブルやハラスメントなんです。それらは懲戒の対象になるからね。そういう最悪なものではなかったのでヨカッタ。
私が気になったのはむしろ昨夜のプッツンしたメモの方で、
「昨夜のメモに10日間リフレッシュ休暇取りたいってのはそれが原因かい?」
「う~ん…あれはちょっと言ってみたかったかな~ってのがあるんですけどっ(笑)、ぶはははっ(笑)」
「辞めたくなったんかと思ったんだぞっ」
「ああスミマセェン。でも昨日はホントこんな人と同じとこで働きなくないぃ~、異動したいぃ~って思ったんでぇ。でも今は大丈夫です落ち着きました。ぶふふっ(笑)」
内容はお話できないが辞める云々のネタでなくてよかった。異動ったって笑ふ女は現場の柱なのでそう簡単にはいかないのだよ。
他にも店内の人間関係のトラブルとか相談されたがそれは省略します。
記念に一枚だけ撮りました。 ↓

話の中身は軽かったが、このランチ、見ためより重く、ズシッと来ましたよ。
喰いながら、喋りながら途中で気づいたのだが。。。
笑ふ女はあまり外食に慣れてないらしく、私と会ってランチに行くって事前に約束したのに殆どノーメイク。
服装もその辺のスーパーにでも買い物に行くようなカッコ。
私はやや憮然とした。もうちょっと俺を意識しろよ。
取りあえずこのランチ会を締めなければならない。
「ええっと、今日、俺がこうして昼を誘わなかったら昼飯はどーしたんだ?」
「家です」
「家でなにを?」
「あるもので。朝の残りで。ぶはははっ(笑)」
「・・・」
「〇〇さん(私のこと)みたいに店を開拓しないんですよぅ」
「郊外に出たりしないの?」
「生活圏内が半径20km以内なんでぇ。県外にも出ないです」
私は心ん中でこの田舎女めって苦笑した。
「あ、あのさぁ。君は俺がいなかったら今日みたいなくだらないネタは誰に相談するんだ?」
「ええっと・・・誰もいないですねぇ」
ただ、上役へのクレームだったので直接私に訴えてきたので別にルート的には間違ってないんですよ。
「そうか。誰もいないのか。昨夜の今日でまだ10日間も休みたいって思ってる?生活圏内半径20kmで10日も休んで何処へ遊びに・・・?ここは海が無いから南の島へとか?」
「いいですねぇ。ぶふふふっ(笑)」
「でも10日間もリフレッシュ休暇取っても7日め、8日め、9日めになったらだんだんとユーウツになるもんだぞ」
「でしょうね。そんなに休んだことないですけどっ。ぶふふっ(笑)」
会食場所は内緒です。
勘定は私の自腹です。私は従業員との個別面談で領収書をきったことは一度もありません。
2013-12-16 20:06
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シルクロード [グルメ]
あぶねぇ、危うく今日、UPを忘れるところでした。
現場の支店を廻って重箱の隅を突っつくようにジロジロ見て、あーでもないこーでもないとチェックする部署がある。
監査とか査察みたいなもの。監査役というと役員の花道みたいだがそうではなくそういうチェック機構の連中です。その連中は普段は何処にいるのか何をしているのかわからない。数人いて普段は行動がバラバラなんです。
彼らは事前に査察現場を公示して来るがよほどの理由が無いと変更はきかない。まれに抜き打ちで来る時があって、呟きⅠで散々登場したYOKO、肉子、雪子の3キャラの支店に突然抜き打ちで来た事があり、たまたまキレ者の雪子が公休日で肉子が緊張のあまり顔面蒼白になった。いろいろ突っ込まれるからね。
「肉子さん一度辞めてまた復帰したってことにすればいいんだよ。戻って来たらやり方が変わっててアタシ何もわかりませんってトボけ・・・」(Yoko)
私は最後まで言わせず、「そんな言い訳が通用すっかっ!!」ってドヤしつけたことがあります。
彼らは現場の嫌われ役だがそれが仕事。自分らが社内規定、法の番人と自負していてウルサい。昔でいう目付、憲兵とまでは言わないが、勘定目付みたいなものなんですね。
イロイロ指摘された内容は「いついつまでに改善しなさい」と言いたいところをオブラートに包んで、「いつまでに改善するか報告してください」とお達しが来る。
企業は皆そういう部署がある筈だよ。誰かがそういう嫌われ部署をやらなきゃなんないのだ。そういうのが無いと不正の温床になるのである。
そのウルサいヤツのひとりが上州を廻ることになって、私が案内役を仰せつかった。私なんかそういうのに最も向いてないと思うなかれ。そうでもないんです。初めてではないのだ。今回もちゃんと時系列でスケジュールを立ててご案内しました。
(そういうウルサ型を手なずけ、良好な信頼関係を構築しているのがジャン妻。)
私はその査察屋さんと同行してナビゲーションを努めたのだが、まる1日かかるので何処でランチを喰うか考えた。
査察屋さんは、「何処でもいいですよ」と言う。
都会のレストランとは違うぞってとこも見せたい気もする。これまでもお偉いさんを3回ほど案内したが、大半の人が上州食堂のボリュームにビックラしてギブアップ寸前でしたよ。晩飯が入らなかった人もいました。
カツ丼とラーメンとか。
ラーメンとモツ煮とか。
刺身はないし。(あるワケないジャン)
焼きそば。。。何か後でバカにされそうだな。思い出したのが無難な市内のファミレスチックなレストラン。シルクロード!!


この店、昨年ジャン妻と一度だけ行ったことががある。スパゲティの写真はその時のものです。



都内の小洒落たCafeやイタリアンレストランではなく殆どファミレスで、特に目新しい特異なものもなくフツーのスパゲティ屋さん。
スパゲティの種類や選択肢が多い店で、デフォルトで大盛りか中盛りクラス。最後には飽きて来ます。
でも接客がいい。膨大なメニューを明るく懇切丁寧に説明、テキパキと接客してくれます。ダメなフロアレディがひとりもいないのだ。それでいて自然な笑顔なんです。まず間違いがない。同行した査察屋さんに対しても失礼がなくて大丈夫。
今日も長々説明を聞いたのだが、私は聞くまでもなくハンバーグと決めていたのです。私に案内された査察屋さんはうるさそうに聞いていて最初はスパゲティの何とかセットにしたが、私が迷わず「ハンバーグ」と言ったら気が変わったらしい。
「ハンバーグなんてありました?」
「ありますよここに」
「じゃぁ私も。。。」
お姉さんがいろいろ説明してくれたのが無駄になってしまったね。来たのは今回が2回めなのだが、前は無かったサラダバーもあった。
「出張が続くと野菜不足になりますからね」ってお調子を合わせる私。サラダを喰いながら上州の食文化を説明してあげました。私はおエライさんを満足させる接待、TALK、お世辞といったものに縁がなくそういう修練をしないで今日まで来てしまったのだが、この時は同行者に対してその場を持たせる会話もちゃんとしましたよ。

ジャン妻にメールした。「会計はこっち持ち?」
「会計は別々で。。。」
別々ねぇ。相手は営業じゃないし、チェック機構はお固い連中なので接待饗応は厳禁らしい。接待したからって緩くなるわけじゃないとか。
1円単位でしっかり割りましたよ。
腹いっぱい喰わせたら指摘が鈍るかというとそんなことは全くなく厳しい指摘もあった。
このBlogに過去に登場した各現場のリーダークラスには査察で何を指摘されるか、事前に押さえといたつもりだが。。。
笑ふ女はポカミス、捺印洩れが多くしっかり指摘されました。
几帳面なN(http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18に登場)は事前に書類を揃えて置きスムーズ、ほぼ完璧だった。さすがはジャン妻が育てただけある。
聖なる酔っ払い女は・・・アタマのいい子なのだが整理整頓が超下手で、対象文書がキャビネット、倉庫、受付窓口とてんでバラバラに置いてあった。事前に言っといたのにさ。「もうちょっと書類、帳票の整理をしてください」なんて言われたよ。
怪しからんのが速口娘、「○時頃にそちらに行くから準備しとけ」ってメールしたんですが、勝手口から入った途端に、
「あっ!!もう来たっ!!」
「こらっ!!」
私は叱りつけた。同行した査察屋さんも苦笑していた。一番指摘事項が多く、WCの清掃当番表が無いじゃないかとか指摘された。
重箱の隅を突くようなお役目ご苦労さまでした。重箱の隅ってのは四つしかないが、TOTALで四つどころか20項目くらい言われた。
現場の支店を廻って重箱の隅を突っつくようにジロジロ見て、あーでもないこーでもないとチェックする部署がある。
監査とか査察みたいなもの。監査役というと役員の花道みたいだがそうではなくそういうチェック機構の連中です。その連中は普段は何処にいるのか何をしているのかわからない。数人いて普段は行動がバラバラなんです。
彼らは事前に査察現場を公示して来るがよほどの理由が無いと変更はきかない。まれに抜き打ちで来る時があって、呟きⅠで散々登場したYOKO、肉子、雪子の3キャラの支店に突然抜き打ちで来た事があり、たまたまキレ者の雪子が公休日で肉子が緊張のあまり顔面蒼白になった。いろいろ突っ込まれるからね。
「肉子さん一度辞めてまた復帰したってことにすればいいんだよ。戻って来たらやり方が変わっててアタシ何もわかりませんってトボけ・・・」(Yoko)
私は最後まで言わせず、「そんな言い訳が通用すっかっ!!」ってドヤしつけたことがあります。
彼らは現場の嫌われ役だがそれが仕事。自分らが社内規定、法の番人と自負していてウルサい。昔でいう目付、憲兵とまでは言わないが、勘定目付みたいなものなんですね。
イロイロ指摘された内容は「いついつまでに改善しなさい」と言いたいところをオブラートに包んで、「いつまでに改善するか報告してください」とお達しが来る。
企業は皆そういう部署がある筈だよ。誰かがそういう嫌われ部署をやらなきゃなんないのだ。そういうのが無いと不正の温床になるのである。
そのウルサいヤツのひとりが上州を廻ることになって、私が案内役を仰せつかった。私なんかそういうのに最も向いてないと思うなかれ。そうでもないんです。初めてではないのだ。今回もちゃんと時系列でスケジュールを立ててご案内しました。
(そういうウルサ型を手なずけ、良好な信頼関係を構築しているのがジャン妻。)
私はその査察屋さんと同行してナビゲーションを努めたのだが、まる1日かかるので何処でランチを喰うか考えた。
査察屋さんは、「何処でもいいですよ」と言う。
都会のレストランとは違うぞってとこも見せたい気もする。これまでもお偉いさんを3回ほど案内したが、大半の人が上州食堂のボリュームにビックラしてギブアップ寸前でしたよ。晩飯が入らなかった人もいました。
カツ丼とラーメンとか。
ラーメンとモツ煮とか。
刺身はないし。(あるワケないジャン)
焼きそば。。。何か後でバカにされそうだな。思い出したのが無難な市内のファミレスチックなレストラン。シルクロード!!


この店、昨年ジャン妻と一度だけ行ったことががある。スパゲティの写真はその時のものです。



都内の小洒落たCafeやイタリアンレストランではなく殆どファミレスで、特に目新しい特異なものもなくフツーのスパゲティ屋さん。
スパゲティの種類や選択肢が多い店で、デフォルトで大盛りか中盛りクラス。最後には飽きて来ます。
でも接客がいい。膨大なメニューを明るく懇切丁寧に説明、テキパキと接客してくれます。ダメなフロアレディがひとりもいないのだ。それでいて自然な笑顔なんです。まず間違いがない。同行した査察屋さんに対しても失礼がなくて大丈夫。
今日も長々説明を聞いたのだが、私は聞くまでもなくハンバーグと決めていたのです。私に案内された査察屋さんはうるさそうに聞いていて最初はスパゲティの何とかセットにしたが、私が迷わず「ハンバーグ」と言ったら気が変わったらしい。
「ハンバーグなんてありました?」
「ありますよここに」
「じゃぁ私も。。。」
お姉さんがいろいろ説明してくれたのが無駄になってしまったね。来たのは今回が2回めなのだが、前は無かったサラダバーもあった。
「出張が続くと野菜不足になりますからね」ってお調子を合わせる私。サラダを喰いながら上州の食文化を説明してあげました。私はおエライさんを満足させる接待、TALK、お世辞といったものに縁がなくそういう修練をしないで今日まで来てしまったのだが、この時は同行者に対してその場を持たせる会話もちゃんとしましたよ。

ジャン妻にメールした。「会計はこっち持ち?」
「会計は別々で。。。」
別々ねぇ。相手は営業じゃないし、チェック機構はお固い連中なので接待饗応は厳禁らしい。接待したからって緩くなるわけじゃないとか。
1円単位でしっかり割りましたよ。
腹いっぱい喰わせたら指摘が鈍るかというとそんなことは全くなく厳しい指摘もあった。
このBlogに過去に登場した各現場のリーダークラスには査察で何を指摘されるか、事前に押さえといたつもりだが。。。
笑ふ女はポカミス、捺印洩れが多くしっかり指摘されました。
几帳面なN(http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-03-18に登場)は事前に書類を揃えて置きスムーズ、ほぼ完璧だった。さすがはジャン妻が育てただけある。
聖なる酔っ払い女は・・・アタマのいい子なのだが整理整頓が超下手で、対象文書がキャビネット、倉庫、受付窓口とてんでバラバラに置いてあった。事前に言っといたのにさ。「もうちょっと書類、帳票の整理をしてください」なんて言われたよ。
怪しからんのが速口娘、「○時頃にそちらに行くから準備しとけ」ってメールしたんですが、勝手口から入った途端に、
「あっ!!もう来たっ!!」
「こらっ!!」
私は叱りつけた。同行した査察屋さんも苦笑していた。一番指摘事項が多く、WCの清掃当番表が無いじゃないかとか指摘された。
重箱の隅を突くようなお役目ご苦労さまでした。重箱の隅ってのは四つしかないが、TOTALで四つどころか20項目くらい言われた。
2013-12-15 18:56
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太田焼きそば [グルメ]
上州太田市のM病院というところに行ったのですが、東武特急で行って太田駅北口で降りたらその閑散とした風景にちょっとだけ驚きました。
再開発をし損ねたのか途中なのか、途中で断念したのか、ダダっ広い駅前広場には何も建っていなかったのです。


メインの国道2号線(東国文化歴史街道の一部)の商店街は大渋滞だったが、人影はまばらで閑散としていました。
目指すM病院は高架の線路に沿った裏通りにあるので、線路に沿っていけば迷わない筈。


南口には行かなかったのかって?
行かないですよ。いつかレポートしてもいいですけど、太田駅の南口はメインストリートが1番街からして風俗街化してるんです。知りたきゃその筋のサイトを見てください。
ホントは行ったんだろって?
だから行ってないって
話を戻しますよ。太田市のM病院に行くには高架に沿って行けば絶対に迷わないんですが、それだと味気ないので路地裏を歩いてみた。
廃墟とまで行かないけど、廃業された飲食店が幾つかあった。




最盛期に来てみたかったですね。
2000年を過ぎた辺りから休息にくるま社会が発達して郊外に客が流れ、駅中心部は空洞化したんだという。
古い建物が多く、細い路地裏に子猫がいたりした。
病院で所用を済ませたら昼時になった。
やれやれ。ここまで来て思ったのは、廃業した飲食店ばかりで現役の店がないじゃないかってこと。
そしたら病院の裏通りに太田焼きそばの暖簾が寂しげになびいてた。



太田焼きそばねぇ。。。
上州滞在中にT市内他で焼きそばを喰ったもんです。敷居の高くない居酒屋には必ずといっていいほど焼きそばがあった。
里見橋台から里見軌道、鷹留城方面へ向かう街道沿いにあった永井商店や、市内のラガーメン焼き鳥屋「結」の焼きそば、具が少なくってソースコッテリでスっバラシかったね。これぞ超B級路線って感じだった。
では今日ここで初めてお目にかかった太田焼きそばというのはどんなモノなのか。
B級グランプリでも出店したし、まれにその辺のスーパーでも売ってたりするが、太田焼きそばってのは麺が太くってソースが濃いめなんです。具は殆どキャベツだけだといっていい。
でも太田焼きそばを名乗る店って内容が千差万別でバラッバラだそうですよ。太田市の焼きそばで暖簾会に加盟していれば何処の店でもどんな焼きそばでも名乗れるんです。
私は上州にいた頃、群馬TV番組だったか、銀行の待合で見た地元地方紙かで太田焼きそばを見たがソース真っ黒。イカ墨パスタほどではないがキョーレツでしたよ。
上州太田焼そば暖簾会で発行しているパンフ、マップには、「伝統の味!!秘伝のソース!!」ここまではいいけど、「同じものは二つとない!!」と開き直った様に豪語している。同じものが二つとないってことは、言い換えれば何でもありってことですよね。
暖簾会のHPを見てください。バラバラでしょう?
http://www.chobee.jp/ootayakisoba/
秋田県横手市、静岡県富士宮市他に続いて太田市も「焼きそばの街」をアピールしているが、太田市にはメインストリートには殆ど見られない。市の中心部から外れた郊外に散見される。
住宅地に突然、現れたりする。労働基準監督署近くの路地にもありましたね。食堂なんだけど、何とかまんじゅうかと併売した持ち帰り専門の店だったりして一様ではないのだ。
強引というか、無理矢理アピールしようとしってるきらいが無くもない。こう言っちゃぁなんだが、太田市内で各店好きに作って販売したら太田焼きそばなんです。太田市内、太田市民がアピールすればいいワケですよ。

太田のM病院の救急口のすぐ前にある店は焼きそば専門店ではなくて大衆中華店です。店内に入ると古びた街の中華料理店・・・ラーメン屋さんだった。
客は誰もいなかったが、おそらくM病院の患者さんか、見舞客、ご家族、職員をターゲットにしてるんでしょう。病院関係者か患者さんが喰う店のようですな。
店内は広くなく、カウンター席が・・・幾つだったか忘れた。テーブル席が2卓あった。
オバちゃんがいた。息子さんも出て来た。親子経営のようです。待つこと5分足らず。ガシャガシャ炒める音とともに店内煙が充満。(苦笑)




おやっ??
メニューにサンマーメンがあるぞ。
神奈川県横浜市の中華料理人さんの賄食発祥といわれるサンマーメンがここに???
磯部駅前の「いまい食堂」にもありましたね。そこでは板さんが神奈川で修業してたと聞いた。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-11-19
この店のオバちゃんと話してみた。サンマーメンが横浜発祥らしこと、多摩川を渡ったらこっち側にはないっていう都市伝説があること。。。
私の話を聞いたオバちゃんは前橋の名居酒屋、「つくし」のママみたいだったが、
「そうなんですかぁ???」
ご存じないようです。寡黙な息子さんはその会話に乗って来なかった。
店が裏道にある為、なかなか入りにくいし、病院の建物がジャマして日が当たらない暗い立地にあるお店ですが、まぁ二代目さんがいるので今後も大丈夫でしょう。

一期一会かも知れないが、頑張って営業して下さい。
再開発をし損ねたのか途中なのか、途中で断念したのか、ダダっ広い駅前広場には何も建っていなかったのです。


メインの国道2号線(東国文化歴史街道の一部)の商店街は大渋滞だったが、人影はまばらで閑散としていました。
目指すM病院は高架の線路に沿った裏通りにあるので、線路に沿っていけば迷わない筈。


南口には行かなかったのかって?
行かないですよ。いつかレポートしてもいいですけど、太田駅の南口はメインストリートが1番街からして風俗街化してるんです。知りたきゃその筋のサイトを見てください。
ホントは行ったんだろって?
だから行ってないって
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/162.gif)
廃墟とまで行かないけど、廃業された飲食店が幾つかあった。




最盛期に来てみたかったですね。
2000年を過ぎた辺りから休息にくるま社会が発達して郊外に客が流れ、駅中心部は空洞化したんだという。
古い建物が多く、細い路地裏に子猫がいたりした。
病院で所用を済ませたら昼時になった。
やれやれ。ここまで来て思ったのは、廃業した飲食店ばかりで現役の店がないじゃないかってこと。
そしたら病院の裏通りに太田焼きそばの暖簾が寂しげになびいてた。



太田焼きそばねぇ。。。
上州滞在中にT市内他で焼きそばを喰ったもんです。敷居の高くない居酒屋には必ずといっていいほど焼きそばがあった。
里見橋台から里見軌道、鷹留城方面へ向かう街道沿いにあった永井商店や、市内のラガーメン焼き鳥屋「結」の焼きそば、具が少なくってソースコッテリでスっバラシかったね。これぞ超B級路線って感じだった。
では今日ここで初めてお目にかかった太田焼きそばというのはどんなモノなのか。
B級グランプリでも出店したし、まれにその辺のスーパーでも売ってたりするが、太田焼きそばってのは麺が太くってソースが濃いめなんです。具は殆どキャベツだけだといっていい。
でも太田焼きそばを名乗る店って内容が千差万別でバラッバラだそうですよ。太田市の焼きそばで暖簾会に加盟していれば何処の店でもどんな焼きそばでも名乗れるんです。
私は上州にいた頃、群馬TV番組だったか、銀行の待合で見た地元地方紙かで太田焼きそばを見たがソース真っ黒。イカ墨パスタほどではないがキョーレツでしたよ。
上州太田焼そば暖簾会で発行しているパンフ、マップには、「伝統の味!!秘伝のソース!!」ここまではいいけど、「同じものは二つとない!!」と開き直った様に豪語している。同じものが二つとないってことは、言い換えれば何でもありってことですよね。
暖簾会のHPを見てください。バラバラでしょう?
http://www.chobee.jp/ootayakisoba/
秋田県横手市、静岡県富士宮市他に続いて太田市も「焼きそばの街」をアピールしているが、太田市にはメインストリートには殆ど見られない。市の中心部から外れた郊外に散見される。
住宅地に突然、現れたりする。労働基準監督署近くの路地にもありましたね。食堂なんだけど、何とかまんじゅうかと併売した持ち帰り専門の店だったりして一様ではないのだ。
強引というか、無理矢理アピールしようとしってるきらいが無くもない。こう言っちゃぁなんだが、太田市内で各店好きに作って販売したら太田焼きそばなんです。太田市内、太田市民がアピールすればいいワケですよ。

太田のM病院の救急口のすぐ前にある店は焼きそば専門店ではなくて大衆中華店です。店内に入ると古びた街の中華料理店・・・ラーメン屋さんだった。
客は誰もいなかったが、おそらくM病院の患者さんか、見舞客、ご家族、職員をターゲットにしてるんでしょう。病院関係者か患者さんが喰う店のようですな。
店内は広くなく、カウンター席が・・・幾つだったか忘れた。テーブル席が2卓あった。
オバちゃんがいた。息子さんも出て来た。親子経営のようです。待つこと5分足らず。ガシャガシャ炒める音とともに店内煙が充満。(苦笑)





メニューにサンマーメンがあるぞ。
神奈川県横浜市の中華料理人さんの賄食発祥といわれるサンマーメンがここに???
磯部駅前の「いまい食堂」にもありましたね。そこでは板さんが神奈川で修業してたと聞いた。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-11-19
この店のオバちゃんと話してみた。サンマーメンが横浜発祥らしこと、多摩川を渡ったらこっち側にはないっていう都市伝説があること。。。
私の話を聞いたオバちゃんは前橋の名居酒屋、「つくし」のママみたいだったが、
「そうなんですかぁ???」
ご存じないようです。寡黙な息子さんはその会話に乗って来なかった。
店が裏道にある為、なかなか入りにくいし、病院の建物がジャマして日が当たらない暗い立地にあるお店ですが、まぁ二代目さんがいるので今後も大丈夫でしょう。

一期一会かも知れないが、頑張って営業して下さい。
2013-12-14 07:32
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104 [グルメ]

上州営業会議の日は会議終了が21時過ぎになる。
これでも一応は会議招集、進行役も兼ねている私ですが、いつも会議後半になると腹が減って減ってイライライライラしてくるんだな。
(早く終われよ。)
(いつまで喋ってんだよっ。)
(誰か止めろよ。)
()内は私の心の声です。おそらく目つきも相当険しくなっている筈。21時過ぎに会議終わると食事する店が限られてくる。NANAでも載せたが、上役たちは数人揃って何処かへ繰り出してるが私は頑として一緒に行かない。東京に帰るフリしてどっか他の店へひとりで行く。
その日の午後、会議修了まで腹がもたないだろうと思い先に喰ってしまおうと目論んだ。安中市役所他への公用を済ませてからこの店、104の駐車場に滑り込んだのだが、

未だ準備中になってる。
![[たらーっ(汗)]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/163.gif)
夜にはまだ早いけど。ディナータイムは17時からじゃないのかいな。
所在無げに駐車場でウロウロしてたら店内の電気が点いた。マスターと目が合ってしまい、こっちは両手を頭上に掲げて〇の字を作った。「OK?」という意味です。
通じただろうか。マスターは頷いた。入っておいでという意と解釈して店内に入ったらマスターひとりだけだった。ランチの時間帯には女性スタッフが3人いるんだが誰もいないのだ。
まだ出勤前か。こっちが早すぎるのかも知れない。
(夜は17:30~と記載された記事もあった。私が早過ぎたのかも。)



「まだちょっと仕込みが済んでないものもあってね。お時間大丈夫ですか?」
「18時過ぎまでに○○○に戻るんだけど・・・」
「ああそれなら大丈夫でしょ。すぐやりますので待っててください」
この辺りがまぁ田舎町(失礼)のレストランのノンビリしたところ。牧歌的な雰囲気を醸し出していた。
今日はフワフワオムライスを喰おうと決めて来たのだ。






カウンター席で会社携帯メールをいじったり、お品書きを見てたら厨房のマスターから声が飛んできた。
「サラダ付けますか?」
「うん」
ランチタイムのサラダは女性スタッフの担当で、今はマスター以外誰もいないのでマスター自らサラダを切って盛っていた。カウンター越しに渡したりせず、こっちに回って持ってきてくれた。
「ドリンクが付きますけど・・・いっつもコーラか何か・・・炭酸系をお飲みでしたよね」
よく覚えてるなぁ。
コーラは夏場にカレーを喰う時ですよ。他は大抵アイスコーヒーなんだけど。この店、以前はアイスコーヒー、ホットコーヒーともセルフでサービスだったのがワンドリンクに変わったみたい。
「ジンジャーエールみたいなのある?」
「ええっと、ジンジャーエールはちょっと。コーラでしたら」
「うん」
大の大人同士の会話に見えないでしょう。でも覚えられたのは嬉しい気もする。前にジャン妻は「愛想のない旦那さんだな」なんて言ってたけど今日は店ひとり、客は私ひとりってこともあって、全ての調理はもちろん、ウォーター、サラダ、スープ、メインを運んでくるのもマスター自らでした。

来た来た。オムライスです。
フワフワでトロトロです。
オムにまぶしてあるソースはデミです。ケチャップじゃなくてオトナのシブいソース味。
中にはケチャップ色のライスがドッサリ。

腹にズシッと来ました。
お会計もマスター自らだった。時間が早いので他のお客も夜番のスタッフも現れず。
「お待たしちゃって。間に合いますかぁ?」
「大丈夫。余裕で間に合います」
会議に直行した。
この店の前記事はこれ。
http://funayama-shika-2.blog.so-net.ne.jp/2013-09-29
他、未掲載料理写真も載せます。



前はホットコーヒー、アイスコーヒーがセルフで飲み放題だったのだが、今はワンドリンクサービスのみになった。それでも冷水、冷烏龍茶が付いてくる。


リブロース・ステーキ!!


メンチカツ&カレー!!


私が一番好きなもの、。ロースカツカレー!!

ヒレカツ重!!
玉子でとじたものではなく、甘辛いソース?天丼のタレみたいなのをうっすらまぶした上州定番カツ重です。

上州に来てカツ丼、カツ重に玉子がなく、ソースカツ丼かソースカツ重なのに最初は面食らったが、これはこれでイケると思うようになった。
先日、都内某所の酒場のランチで、新潟風ヒレカツ丼というのを喰ったがそれも玉子を溶いてなくて上州と同じようなソースカツでしたね。



昼、11:00頃に入ると3人の女性スタッフが仕出し弁当に取り掛かってる。大量ノタマネギをトントン刻み、デカい器に挽肉をこねこねしてました。
そのお惣菜の一例です。

この店で食事をする度に、この店採算取れてんのかなと思うんだが、こういう稼業もあるんですね。
いずれも逸品揃いで「この値段でこの味、ボリュームかよ」って唸るものばかりだった。加えてスープ、サラダ、ワンドリンク、冷水、冷ウーロン茶、ひとくち果物が付き、ランチはライスが大盛り無料でハンパな量じゃない。
安中市民の皆さんが羨ましい。

104とは10月4日OPENしたイチ・オ・シ(1 0 4)という意味らしいですぜ。
2013-12-13 08:10
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おちょこ [居酒屋]
連雀町にあるこの店にはちょっと厳しい意見、私見の私です。
店主もお若いが、料理もまだまだ若いです。近くの屋台村から昨年暮れに独立したそうですが、ファンの方々には申し訳ないけど、ちょっと独立が早かったんじゃないかなぁ、もうちょっと修行した方がいいんではないかい?って思ったりもする。どうしてもモノによっては煮込みにムラがあるんですよ。固かったり、やわらかかったり。
具が揃ってない日もあるしね。

でも店内の雰囲気が静かでトテモ落ち着くし、女性ひとりでも安心して入れる。何より気取らず自然体で肩肘張らないのがいいです。




「しおもんて何です?」
「富山から取り寄せた干物なんです」
ちなみに、キス、350円(二尾)、幻魚(ゲンゲ)、350円(二尾)、カマス500円、フグ400円、カワハギ400円、赤カレイ600円、スルメイカ600円、コマイ400円(二尾)、ホッケ600円。。。
「カレイにする」
「焼きます?揚げることもできますよ」
「じゃぁ揚げてください」
揚げている間に、この店のお品書きをズラリ。。。
おでん。。。
大根120円、ちくわ120円、つみれ120円、たまご120円、サツマアゲ120円、えび団子120円、はんぺん120円、がんもどき120円、鶏つくね120円、こんにゃく120円、小タマネギ120円、もち巾着120円、白滝120円、ジャガイモ120円、ちくわぶ120円、厚揚げ120円。。。
いつも全部揃ってるとは限らないけどね。
漬けもの盛合せ300円、だし巻きたまご500円、きのこのわさび醤油600円、えいひれ炙り600円、たまむら豆腐のやっこ500円。。。
しおもん定食900円(ごはん、しおもん、味噌汁、香物)
おむすび2ヶで500円、(味噌か梅おぼろ昆布)
だし茶漬け650円



E59490E68F9AE38192.jpg)
日本酒がシブく、赤城山、船尾瀧、妙義山、幻の瀧、鯉川、杉錦、竹鶴にごり他。。。
私は大抵、船尾瀧にする。
前にこっちの従業員で、聖なる酔っ払いオンナというボス格から貰ったことがあるお酒。


だけど驚いたよ。
この店がYoutubeにUpされてるとはね。
http://www.youtube.com/watch?v=SydtpvBVC1U

HPも。。。
http://www.nomiya-ochoco.com/
見ると行きたくなるでしょ。この店だけで一晩100%満足しようというのではなく2軒目に酒とおでんBAR、しおもんBARと割り切ればいいんです。若いから勢いがあるし、これからお客さんに鍛えられて熟練していくでしょう。
応援してあげてください。
店主もお若いが、料理もまだまだ若いです。近くの屋台村から昨年暮れに独立したそうですが、ファンの方々には申し訳ないけど、ちょっと独立が早かったんじゃないかなぁ、もうちょっと修行した方がいいんではないかい?って思ったりもする。どうしてもモノによっては煮込みにムラがあるんですよ。固かったり、やわらかかったり。
具が揃ってない日もあるしね。

でも店内の雰囲気が静かでトテモ落ち着くし、女性ひとりでも安心して入れる。何より気取らず自然体で肩肘張らないのがいいです。




「しおもんて何です?」
「富山から取り寄せた干物なんです」
ちなみに、キス、350円(二尾)、幻魚(ゲンゲ)、350円(二尾)、カマス500円、フグ400円、カワハギ400円、赤カレイ600円、スルメイカ600円、コマイ400円(二尾)、ホッケ600円。。。
「カレイにする」
「焼きます?揚げることもできますよ」
「じゃぁ揚げてください」
揚げている間に、この店のお品書きをズラリ。。。
おでん。。。
大根120円、ちくわ120円、つみれ120円、たまご120円、サツマアゲ120円、えび団子120円、はんぺん120円、がんもどき120円、鶏つくね120円、こんにゃく120円、小タマネギ120円、もち巾着120円、白滝120円、ジャガイモ120円、ちくわぶ120円、厚揚げ120円。。。
いつも全部揃ってるとは限らないけどね。
漬けもの盛合せ300円、だし巻きたまご500円、きのこのわさび醤油600円、えいひれ炙り600円、たまむら豆腐のやっこ500円。。。
しおもん定食900円(ごはん、しおもん、味噌汁、香物)
おむすび2ヶで500円、(味噌か梅おぼろ昆布)
だし茶漬け650円



E59490E68F9AE38192.jpg)
日本酒がシブく、赤城山、船尾瀧、妙義山、幻の瀧、鯉川、杉錦、竹鶴にごり他。。。
私は大抵、船尾瀧にする。
前にこっちの従業員で、聖なる酔っ払いオンナというボス格から貰ったことがあるお酒。


だけど驚いたよ。
この店がYoutubeにUpされてるとはね。
http://www.youtube.com/watch?v=SydtpvBVC1U

HPも。。。
http://www.nomiya-ochoco.com/
見ると行きたくなるでしょ。この店だけで一晩100%満足しようというのではなく2軒目に酒とおでんBAR、しおもんBARと割り切ればいいんです。若いから勢いがあるし、これからお客さんに鍛えられて熟練していくでしょう。
応援してあげてください。
2013-12-12 06:22
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